2004年、
中東を舞台にした戦争にひとつの区切りが付けられた。
大量破壊兵器の保有を理由としたアメリカを中心とする有志連合がサダム・フセイン政権のイラクへ軍事介入した「イラク戦争」。
戦闘行動により甚大な被害がイラク国内にもたらされた中、同国のフラッグキャリアのイラク航空も壊滅的な状況にたたされていた。
第二次大戦後の1946年に運行を開始。
当時は度々政権が代わり、その都度導入する機材も影響をうける。
1970年代に入ると潤沢なオイルマネーにより急拡大。最新型のB727の導入や大型機B747を導入し中東のハブに成長したバグダッド空港を拠点に路線を広げた。
日本には1978年にバグダッド~東京間を(途中経由しながら)開設する。
しかし、日本就航の翌年から
イラク航空の受難が始まる。
1979年、サダム・フセイン政権が誕生すると1980年に隣国イランとの戦争に発展。
要約すると宗教の宗派対立のようだが、実際はもっとややこしい。。
この戦争により、一時ほぼ全ての運行を停止せざるを得なくなる。
イラン・イラク戦争が終息(実際には停戦)した1988年より路線の再開をしていくが、
1990年かねてより
「クウェートは自国領」
を提唱するフセイン政権によりイラク軍がクウェートへ侵攻。
再び運休の憂き目にあってしまう。
(日本路線も運休を余儀なくされる)
さらに、クウェートへ侵攻した際にクウェート空港に駐機していた様々な航空機を一方的に接収(クウェート航空機以外もおかまいなし)。
これが後々イラク航空に影を落とす。
1991年に勃発した湾岸戦争による多国籍軍の攻撃により国内にあった機材はほぼ破壊されてしまい、さらに制裁で国際線の運行が事実上禁止される。
追い討ちをかけるようにイラク戦争が勃発。
保有機のほぼ全てが運行できない状態となる。
フセイン政権が倒された2004年、、
新政権下で国営から民間に運営を委託し運行を再開し、アメリカなどからの支援の元、中古機材を導入するかたわらで、整備可能だった一部機材を整備し運用を再開するなどして、一部国内線、近距離の国際線の運行を再開していった。
イラク戦争からの復興を進みつつあったイラク航空だったが、2010年に突如精算されることが決定される。
クウェート政府が侵攻による損害賠償を求めイギリスの裁判所に提訴。裁判所はイラク航空の資産凍結を決定し、イラク航空は事業継続が出来なくなる。これを受けてイラク政府はイラク航空の精算を考えた。
イラク航空が提訴の対象になったのは、クウェート侵攻の際に接収された自国の航空機の保証が名目になった。
その後の交渉により、イラク政府が5億ドルの賠償金を支払うことで合意し、クウェート政府による申し立てが取り下げられた。
こうしてなんとか精算・解散を回避したイラク航空は中古機をリースしてフリートを拡充していく。
その中にはなんと!