まず、

こちらの画像をご覧ください。

トリトンブルーに塗られたプロペラ機。
皆様お馴染みのボンバル機です。
(わかる人はこれでもわかる)
しかし、、
よく知られたボンバル機、、
所謂「ボンQ」こと
DHC8-Q400ではない、、
しかも、撮影地は
羽田空港
です。
10年ほど前まで、、
羽田空港に就航していた同機、、
DHC8-Q300
今回はジャンボの裏でひっそりと
最後を向かえた同機のお話です。

2000年頃、
ANAの子会社であったエアーニッポン(ANK)は当時羽田空港発着の大島・三宅島や北海道の札幌(丘珠)発着の北海道内路線で運行していたYS-11の後継機の選定を行っていた。
ここで白羽の矢がたったのが
デ・ハビハンド・ダビ・カナダ社の
DHC8-Q300
であった。
また、同時期に運行効率の改善を目的として
ANKはこれらの路線を別会社へ移管することを計画していた。

2001年、
ANKの子会社として
エアーニッポンネットワーク(A-Net)
が設立される。
ほぼ同時期に発注されていたQ300の
1号機が引き渡されるが、それは
趣の異なる機体であった。
ANAグループのキャリアでありながら
トリトンブルーではなく、
鮮やかな花が描かれていた。
描かれていたのは大島を代表する花
「ツバキ」
だった。
塗装のコンセプトは
「就航地を代表する花」
「ツバキ」はANK便として
羽田~大島線に就航する。
2002年、
A-Netの事業認可がおりた事で
「ツバキ」は路線と共にA-Netへ移管される。
移管された「ツバキ」は
導入時にかかれていたANKロゴを落とし
胴体下部に新たな社名タイトルが書かれた。
「ツバキ」のタイトル変更に前後してい
僚機となる

2号機「ひまわり」

3号機「すずらん」
が導入された。
2号機以降は札幌(丘珠)ベースでの運行を見込み、北海道内の花をまとっていた。
その後も順次導入され

4号機「コスモス」

5号機「はまなす」
こうして華やかな塗装を
まとった5機がそろった。

Q300の導入により、
ANAが導入して以降40年に渡った
YS-11の運行を終了。
ひとつの時代が終わった。

しかしQ300の活躍は
ずっと早くおわりを告げた。

2009年頃より
Q300は整備に伴うリペイントが行われ
通常のトリトンブルーへ改められる。
そして、、
ANAグループの路線再編に
翻弄されることになる。

ANAは丘珠発着路線からの完全撤退を発表
自治体からは存続を強く要望されるも
撤退の決定は覆ることはなかった。

半ば強行する形での撤退で、
最終便の見送りに空港職員しかいないというひっそりとしたものになった。

就航路線を失ったQ300は
整備性の悪化もあり退役を余儀なくされる。
丘珠空港の路線を失ったQ300に残されたのは羽田発着の大島線と三宅島線のみだった。
5機あったQ300は順次売却され
2013年には4号機の元「コスモス」を残すのみとなった。

2014年
火山活動の影響で就航率の芳しくない三宅島線から撤退と大島線の通年運行を見直す事が発表される。

こうして、
2014年3月31日、、
ANA ジャンボ最終便の裏で
最後の運行が実施された。
目的地の三宅島は
残念ながら火山活動の影響で降りることが叶わなかった。

実は
降りることが叶わないことは
出発前からわかっていたが、
最終日を飾るために引き返しを
前提に運行された、
同社の旅客機としての
最後の花道であった。

(今回の模型は全て
ANA商事 スケール1/200です)