定期便、、
一般的には旅客機思い浮かべることの多いこの単語。
もちろん、それ以外、、つまり貨物だって定期便は存在する。
そして、、それは民間だけとは限らない。
都内で最長の滑走路を有する在日アメリカ空軍横田基地、、、
ここにはハワイのホノルルやアメリカ本土のトラビス基地、そして沖縄の嘉手納基地や青森の三沢基地などとの間に装備品や人員輸送のための定期便が存在している。
定期便とは民に限ったものではなく、軍にも存在している。
もちろん、、
自衛隊にも定期便は存在する。
神奈川県大和市に存在する在日アメリカ海軍厚木基地、、
ここには日本の海上自衛隊も併設されており、ここをベースに飛ぶ定期便が存在する。
現在はアメリカ海兵隊のお古を改修したC-130輸送機が従事するが、
2014年末まで、、この任務はある国産輸送機が従事していた。
空自のC-1ではない、、
一般には「戦後初の国産旅客機」と称される機体。
YS-11
である。
1962年に開発された同機は戦後長きにわたって規制された航空機開発の再開を受けて官民一体で開発された。
一般的には「名機」と言われてるが、、、
10年以上旅客として利用していた私からしたら「迷機」の間違いでは?
なんて思いもあるが、これは置いておいて(たぶんネタが揃ったら取り上げる)、、
今回は海上自衛隊の定期便を飛んだYSのお話、、、
神奈川県厚木基地はアメリカ海軍の基地であるが、先に述べた通り海上自衛隊も併設され海自の基地としても機能している。
特に大所帯なのが第51哨戒飛行隊。開発国のアメリカを越えて世界最大のP-3運用国となった日本ではわざわざ遠路はるばるアメリカからP-3を撮るためにアメリカ人スポッターが訪れることも多かった。
そんな厚木基地を拠点に輸送連絡任務に当たっているのが第61飛行隊。コールサインは「キャラバン」
キャラバンと聴くと日産の車を思い浮かべるが、、、実際似たようなものです。
61隊の任務は輸送がメイン。それは荷物だけでなく人も運ぶ。
そんな61隊は1971年に厚木基地に編成された。
そして編成と同時に配備された機材がYS-11だった。
テールナンバーは9041、9042、9043の3機。
形式名はYS-11M。
ここで模型の紹介。
スケールは1/200、販売が全日空商事なのでおそらく生産はヘルパあたりかな?
さて、、
この機の特徴は
貨客混載ということ。
ちなみに61隊に配備された3機のうち、41と42はYS-11M、43はYS-11M-Aとなります。
見た目にも除氷装置の仕様が違いますので、区別は容易です。
そして彼女たちに課せられた任務、、、
特に過酷を極めたものが定期便として週2便運行される南鳥島と硫黄島への物資・人員輸送任務、、通称
「小笠原定期」
基本的な航続距離が1050キロのYSが1200キロ以上を物資を積んで飛ばなければならない、、、
(初期仕様のYS-11は除氷装置にヒーターを採用しており前縁に換気口がある)
そのため仕様上40席ある座席は20席に減らして飛ぶ。
座席を使わないのではなく、座席そのものを撤去までする。
(大きなカーゴドアがある左舷とは異なり右舷の見た目は旅客機のそれ)
しかし、、よく考えると、、、
硫黄島まで厚木基地から1200キロも離れている、、
そしてその間には島はない、、
つまりカツカツな性能のYSはある地点を越えたら折り返すこともできない、、、
どんなに目的地の天候が悪くとも降りなければならない、、
そんな過酷すぎる任務に就いていた。
この任務にYSが当てられたのは国としての事情もあった。
ゼロ戦や二式飛行艇のような航空機を作り出した日本であったが、それを脅威とした連合国により日本は航空機開発において禁止令を受けてしまう。
その禁止令が解除されて初めて開発した航空機。輸出のためには信頼性の誇示が必要であった。
そこで防衛庁においても運用してほしいというお触れが当時の通産省から発せられた(らしい)。
それを受けて海自としては欲しかった輸送機の枠にYSをあてがうことになった。
小笠原定期は厚木を出発すると南に一直線に飛んでいく、、、
ギリギリの航続距離の先、、、
「最初」の目的地の硫黄島へ、、、
硫黄島につくと直ぐに出発準備、、、飛んだ先は厚木、、ではなく、、、
東へ進んで南鳥島、、、こちらも1200キロ先、、、
この航路を「往復」するため一度の飛行で5000キロ近い工程を飛ぶわけです、、
双発のターボプロップ機には厳しすぎる運行です。
しかし情勢的に海自では少数な輸送機の更新は進まず、、、
民間機のYSが潰えて以降も飛び続け、、、
同じ海自のYSが引退する中で部品の供給を受けつつ飛び続けるももはや限界、、、
2013年からは特定の機体が重点的に飛んでいました。
(部隊マークのラクダはある意味当たっている、、YSにとってとんだ海は砂漠も同じだったでしょうね)
それが9042号機だった。
結局新造機を必要数調達することが困難だったため、アメリカ軍が余剰機として整備保管(という名の放置)していた元海兵隊機KC-130を整備改修の上で導入することになったのでした。
2014年11月、後継機のC-130が厚木に到着し、その年の12月末、、
海自で最後まで飛び続けた3機が正式に引退したのでした。。
正直、、、
あれだけ過酷な任務の中で喪失が発生しなかったのは奇跡に近いと思う。
YSの性能は決して高くない。
これもひとえに性能を犠牲にした信頼性の高さなのか、
それとも飛ばした防人たちの信念なのか、、、
それを知るのは実際に飛んだ方々だけです。。