時はソ連時代、、
エンジンを主翼に懸架する方法が普及したことでソ連においても航空機の大型化が進んだ。
ソ連で初めて主翼にパイロンを介してエンジンを懸架する方法を採用したのはイリューシン設計局が開発したIL-76であった。
(ソビエト空軍 IL-76 1/500 インフライト製)
イリューシン76は民間向けの貨物機としても製造されたが、社会主義のソ連においては国営のアエロフロート・ソビエトしかなく、アエロフロート自体が空軍の令下であり、空軍の機材にもアエロフロートの表記があるものもあったほど、、
これに応えたのがアントノフ設計局であり、アントノフ設計局が提案し開発されたのが巨人機として名を馳せるAn-124ルスランであった。
An-124はアエロフロートにも導入され、その塗装は空軍の物と酷似し、違いは尾翼の星がソ連国旗に変わった程度であった。
一方で空軍向けと民間向けではスペックに違いがあったため、空軍の輸送任務にアエロフロート機がつくことはあっても、その逆はなかったもよう。。
ソ連が崩壊しロシア連邦へ再編されると、ロシア国内の航空事情も大きな変化が生じることになった。
これまでソ連の民間航空輸送の全てを取り仕切っていたアエロフロート・ソビエトは各監理局で分社化されることになる。
旧モスクワ管理局(事実上の中央局)がアエロフロート・ロシアへと再編され、ほとんどの貨物機の運用はモスクワベースのアエロフロート・ロシアへ引き継がれることになった。
再編されたアエロフロート・ロシアはモスクワベースに主要国内線に国際線、また貨物専用機を用いた輸送をになっていた。
An-124やIL-76といった大型の輸送機を引き続き運用するが、、
長くは続かなかった、、
大型の輸送機が必要となるのは非常に人口密度の高い大都市に隣接する所への就航がほとんどなうえ、地理的に地上での輸送に難がある場合となる。
ソ連時代から(軍事輸送もかねて)鉄道路線が東西に伸び大量輸送や重量物輸送をになっていた。
(鉄路が全くないのは北極圏に限られてる)
また、アエロフロートが解体再編された事で生まれた地方の航空各社がB737やB757の転用貨物機を運行し始めたこともアエロフロートの貨物機運行を圧迫する。
同じ50トンの荷物でも夕方に1度運ぶより、10トンを5回運ぶ便を設定したほうが利便性も上がる。また大型機では過剰な路線にも就航できる。
国内の軽貨物需要に適応しにくかったアエロフロートの貨物機は国際貨物へシフトするが、そもそも、ロシアの主要な輸出は資源であり、航空機で運ぶものではない。輸入製品にせよ、航空機にのせて大量に運ぶような需要はほとんどなく、基本的にロシア本国と他国を結ぶ路線形態のアエロフロートでは足元のロシア国内の需要で頭打ちでありAn-124やIL-76は供給過剰であった。
結果として、アエロフロートは貨物機のフリートを刷新、、DC-10やMD-11の転用貨物機を細々と運行するが、2013年に貨物専用機の運行を終了するにいたった。
An-124は2000まで、
IL-76は2004までと、アエロフロート・ロシアとしては10年程度の運用期間で終了した。
一方でソ連がロシアとなり、かつてソ連空軍で使用されていたAn-124やIL-76もロシア空軍へと再編、編入された。
しかし、ここでも大型機は苦行を強いられる、、ロシアとなったことで財政的な問題に直面し、各部隊の機材稼働率が著しく減退。
冷戦の終結により部隊の機動性を維持する意義が失われたことや戦争のあり方までもが変わり、特に大型の輸送機は重要視されなくなっていた(と思われる)。
削減された輸送機はなんと民間に転用しリースされていた。
一方で手元にある機材も昼行灯状態では維持費がかかるだけ、、
そこでロシア空軍は斜め上をいく奇策にでた。
アエロフロートが貨物専用機の運行を縮小していく2000年を過ぎた頃、、
妙な名前の貨物航空が就航する。
その名も「第224フライトユニット(コールサインはカーゴユニット)」
こちらが第224フライトユニット(以降カーゴユニットと表記)のAn-124-100。
ちなみに、民間運用なのでスペックは-100型に制限しているが、本来はAn-124軍用型。
リースしていたキャリアが破綻したため「ロシア空軍に」戻ってきた。。
何を隠そう、、このカーゴユニットの正体は「ロシア航空宇宙軍 第224 飛行輸送隊」
所謂ロシア空軍の1部隊なのです。
ロシア空軍の1部隊、、なのでベースにしているのはモスクワ近郊の空軍基地、、しかし、、
ロシア空軍の1部隊、、にも拘らず依頼さえあれば何処へでも向かう、、たとえアメリカであっても荷物を運ぶ、、それが軍事品であっても、、
(ちなみにイギリスに代理店があった)
機材はAn-124の他、
IL-76もある。
就航当初は巨大ターボプロップ機のAn-22も運用していた。
ほとんどがロシア空軍の機材ですが、出戻りの他、元アエロフロートの機材もある。
(基本的な塗装が同じなためかアエロフロートのロゴを塗りつぶしただけや、224のロゴを加えただけの機材もある)
An-124が5機(他整備保管が3機)
IL-76が26機のフリートを構成していたが、その後に新興キャリアの破綻が相次ぎ放出された機材が組み入れられたため、フリートは拡大し、ロシア空軍本体を上回る事態に、、
皮肉にもAn-124やIL-76はロシアの国内航空貨物事情には適応できず、主にB757SF、最近ではB737(-300/-400)SFやB737-800BCFにとって変わられる。
しかし逆に軍用ベース故に荷役がしやすく、かつ重量物を運べるため、主に西側諸国間での輸送に重宝される事態になった。
そして早くから「ロシア国外の需要」に目を付けたキャリアがロシアにおける航空貨物のシェアを大きく獲得することになる。
予告
ソ連末期、巨人機の需要をしった一部の関係者が集まり一つのチャーターキャリアを設立した。
それを取り巻く各社の思惑、、
次回「ロシアンカーゴの実態 後編」











