かつてのソ連、現在のロシアは世界最大の国土を持つことでしられ、国内線でも8時間に及ぶ長距離路線が存在する。
社会主義を掲げたソ連の時代の航空輸送は全て国営のアエロフロート・ソビエトによって行われていた。
ソ連末期、、
ドニエプル川のほとりにある空港でのちに巨大貨物機アントノフAn-124を駆るヴォルガ・ドニエプルが複数の出資者により設立。
これに続くようにソ連解体間際から直後にかけていくつもの旅客・貨物それぞれの航空各社が設立されていった。
今回はそんなころに設立された航空会社を数社取り上げていきます。
1)アトラント・ソユーズ航空
ソ連解体から程なく、、1993年頃に誕生した新興のキャリアの1つでした。
ソ連時代に国営だったアエロフロートはソ連解体のさいに組織が分割され各管理局ごとで分社化されました。
それらのキャリアは通称で「旧アエロフロート系」と呼ばれたりしていましたが、アトラント・ソユーズはそれらとは異なり、全く新たに設立されたキャリアだったようです。
(アトラント・ソユーズ(A400 Airlines) ヘルパ製)
ベースはモスクワにおかれ、周辺地域や近距離のヨーロッパ圏への貨物便を運行していました。
かつてのアエロフロート・ソビエトのモスクワ管理局がアエロフロート・ロシアへ再編されるが国際線と主要都市、国際貨物へ傾倒する路線形態であったため、それを補完するためにモスクワ市が出資する形で設立された、、と言われる。
(この頃はロシア国内で同様に自治体により設立された会社が多いうえ、時代背景もあり資料が少ない)
設立時には大型のIL-86貨物機(存在してたんだ、、)も運行していた。
しかし騒音規制の影響によりヨーロッパ圏で運行できる機材が枯渇。
2010年頃にメーカーであるイリューシンの系列リース会社イリューシン・ファイナンスより3機のIL-76-400をリースする契約を締結した。
しかし、事はそれより深刻であった。
機体の整備状況なども指摘される事態となりEUへの乗り入れが禁止される事態に。
頼みの綱であったIL-76-400TDは2012年、13年に引き渡される予定であったが、財政状況の悪化によりかなわず2012年頃より運休状態に陥り2013年には解散してしまう。
アエロフロートが解体され独占者がいなくなった筈なのに、何が苦しめたのか、、
そして、全く同じ憂き目に遇う事になるのが他にも、、
2)イーストライン航空
1995年にモスクワベースで設立された貨物キャリアでした。
モスクワ発着の貨物便としては大きめのシェアを獲得したキャリアでした。
先のアトラント・ソユーズとは異なり、主に国内貨物便を請け負っていようでした。
ロシア国内における市場開放は多くの事業者の参入が可能になった一方で、これまで制限を受けていた組織への規制が緩和される事にもなっていました。
3)ロシアン・スカイ
2005年に突如姿を消したイースト・ライン。
実は運行停止ではなく、買収され、統合された為に消滅しました。
イースト・ラインを買収したのは同じくモスクワをベースにした新興のキャリア、ロシアン・スカイでした。
こちらはメインは旅客でしたが、競争の激しさが増してきたため、手堅い(と思われてた)貨物事業への参入をもくろみ、中堅どころであったイースト・ラインを買収した様です。
ロシアン・スカイのカーゴ機はイースト・ラインからの編入機が多勢で構成され、路線もそのまま継承されました。
当時のロシアの新興キャリアはほぼほぼ同じ問題を抱えていました。
会社は新しくとも、機材が古い
機体年齢はまだ浅いものも多かったのですが、経営基盤が脆弱だったことも災いし、当時のアエロフロート系各社が導入を進めていたエアバスやボーイング製の航空機を調達することは難しく、アエロフロート系各社が放出した旧ソ連時代の機材を比較的安くリースして導入するのがやっとでした。
そして、経営基盤の脆弱さは乱立状態になった新興各社の過剰な競争と共食いに発展。
統廃合が繰り返される中で、体力のないもの同士が合併していく。
イースト・ラインを合併したロシアン・スカイでしたが、統合の翌年には別のキャリアに買収されます。
(買収したキャリア(VIM)は横領やその他の不祥事、リース料未払いによる機材の差し押さえなどにより2017年に解散します)
つづきます。。
予告
EUへの乗り入れが出来なくなったことで傾いたアトラント・ソユーズ
堅調だったはずの国内貨物で機材の乗り入れ問題とは無縁だったはずのイースト・ライン
旅客便も手掛け手広く路線展開もしたロシアン・スカイ
いずれも首都モスクワをベースにした新興キャリアでしたが、ことごとく姿を消していきました。
彼らを苦しめた背景とは、、
次回「ロシアンカーゴの実態 中編」