1979年、、
日本国内最王手のキャリアとなった全日本空輸空輸(以降 ANA)は当時のフラッグシップであったロッキードL1011に代わる主力機として短距離仕様の異色のジャンボ機、B747-SRを導入した。
先に就航していた日本航空(以降 JAL)とは仕様が大きくことなり、エンジンはゼネラルエレクトリック社製のCF6エンジンを搭載した。
また、基本の設計にも変更が生じたことから、ANA向けをJAL向けとは分けてSR-100Bや-100B-SRと表記されることもある。

導入の時期もあり、トリトンカラーをまとった機が就航するなかで-SRは全てモヒカン塗装で受領されたが、順次塗り替えが進み、
2023年現在まで脈々と続くトリトンカラーもデビュー。
モヒカン塗装では英字タイトルだった社名は愛称のひとつ、全日空と尾翼のANAロゴのみ。
事実上、国内線専門でもあったため英字タイトルは省かれていた。
そんな-SRにもトリトンカラーがデビューした丁度その頃、、
航空各社に大激震が走る一大事が起きようとしていた。。

これまで各社の運行範囲を定めていた通称「45/47体制」が崩壊、、
規制が一部緩和されつつあった。。
これまで国内線に張り付いていたANAと日本エアシステム(これを契機として東亜国内航空から社名変更)は国際線にも耐えうる機材の選定を開始する。
一方でキャパシティの制限を行えば短中距離の路線ならば運行可能であったため機材を限定して国際線に就航する。

が、もうひとつ、、秘策をANAは実行する。。

既にジャンボ機を運行していたANAにとって選択肢は1つしかなかったことだろう。。
こうして、1986年にデビューしたANA初の長距離機がB747-200であった。
塗装は就航済みの-SRと同じトリトンカラーに「全日空」と胴体タイトルに
尾翼には白抜きでANAの3レター。
当時の空港では管制官が双眼鏡を覗き、機体のロゴを確認することも多かった。
そのため、所属を示すロゴを尾翼に書き入れる事は不特定な国際路線に就航するにはセオリーなものだった。
(JALのリゾートエクスプレスは就航先を限定していた)
しかし、-SRと決定的にちがったのが、、
胴体にかかれた英字タイトルであった。
国内では最王手かつ最古の純民間航空であったが、海外では業界人でもなければしらないキャリア。
そのため知名度をあげるために英語表記の「All Nippon Airways」のタイトルを書き込んだ。

これまでANAのジャンボ機といえばB4(ビーヨン)こと-SRであったが、-200型就航でビーヨンが2種類になった、、
その区別のためか、前者はSR(エスアール)、後者は航続距離が長いことからロングレンジを略してLR(エルアール)と称された。。

しかし、規制緩和の波は日本だけではない、、
(むしろ日本は他の影響で緩和したとも言える)
また、ANAが-200を増備するなかでも大事件が起きてしまう。

ジャンボ機のツーマンクルー化、、
B747-400型、、通称ダッシュ400の登場だった。
発表されると各社がこぞって発注。
国際線の多いJALも大量の発注を行う。
ANAも導入を決めるも、後手に回ってしまい大きく遅れをとることに、、
そこでANAは奇策に打ってでる、、

(ここから妄想)
ANA:もしもしボーイングさん?

ボーイング(BOE):これはこれは!ANAさん!この度はなに用で?

ANA:ダッシュ400欲しいんだけど、、

BOE:あぁ~すいません・・・

ANA:?

BOE:注文が多すぎて、、今からだと4年先ですね

ANA:ところで、、まだ-200型が発注残あるよね?

BOE:えぇ~あっ!ご心配なく!こちらは予定どおりに納入しますので!

ANA:まだ生産に入ってないのあるよね?

BOE:、、、えっ?

ANA:それをダッシュ400に機種変更するので、差額っていくら?あと2年くらいでもらえそう??

BOE:ガ・・・ガンバリマス・・・・
(妄想おわり)

まぁ~そんなこんなでANAは先行した他社を差し置いて発注残の内容変更というウルトラCをかまして早々にダッシュ400を調達出来る目算をたてたのでした。
しかし、同時に問題も起きる、、
早期に受領できたはずの-200をダッシュ400に変更したため多少遅れる。
急速な国際展開を目指したANAにとっては長距離機材に余裕はない。
そこで、、、
ANAは国際線の増便のため規制緩和の際に投入した機材をフルに活用する。
英字タイトルのある塗装、、
見間違うこともないLRこと-200型、、

ではない。。。

この機のレジはJA8157、、
正真正銘のB747-SRである。。
規制緩和の際にANAがとった奇策、、
それは短距離仕様のSRをLR化して運行する、、
というもの。
元々SRは中長距離機のB747がベースであり、エンジンの低出力化や燃料タンクの省略などのダウングレード化を施して離陸重量を下げた機材。
そのため、エンジンのフルスペック化や燃料タンクの追加工事などを施せば、従来機の性能には劣るものの大きく航続距離を伸ばすことが出来た。
SRのうち比較的若いJA8156とJA8157の2機とバックアップとしてJA8158(エンジン換装のみだったかな?)の計3機が長距離機材への転用に抜擢され、、1984年ごろに
・エンジンを低出力型のCF6-45から-50エンジンへ換装

・燃料タンク追加

・客室装備の国際線機材化
といった改修(もはや改造)が施された。
国際線への就航のために省かれていた英字タイトルが書き入れられ、見た目では完全にLRと区別がつかなくなった。
一見すると-200までのつなぎのようや役回りだったが、ANAとしては一切の妥協はなく、機体の性能は-200には劣るものの機内装備は完全に国際線のそれ。
かなり気合いのはいった改修だった。

こうして規制緩和の前後で導入されたSRとLR、そして-200導入を前に国際線進出を実現し、後継機導入までの国際線を支えたSRは2000年ごろより順次退役し、いずれもダッシュ400に交代。JA8157の鹿児島~羽田を最後にANAからクラシックジャンボが姿を消しました。

(今回登場のモデルは全てANA商事販売の1/500モデルです)

予告
航空会社を取り巻く規制は路線だけにはとどまらない。東西冷戦が健在だった頃、イギリスのあるキャリアが行ったチャーター便の運行。
それはソ連崩壊後のあらたなビジネスモデルの先駆けとなる。
次回「巨人を駆る」