毎年、冬になると多くの日本人が北上を開始する。。
目的地は東北であったり、北海道であったり、、、
その目的は、、ウィンタースポーツ!!
日本最大の鉄道会社、東日本旅客鉄道も毎年キャンペーンを展開し、東北・上越・長野(当時)の各新幹線は大変な混雑となっていた。
特に東日本旅客鉄道はグループでスキー場を保有するほどであった。
そんな中で各新幹線では太刀打ちできない、航空機独壇場の一大ウィンターリゾートが北海道であった。
俗に言われる4時間の壁のほか、新幹線だけではたどり着けず、乗り換え必至の煩雑さから、首都圏~北海道の移動需要は航空機の圧倒的有利で、世界で最も移動需要の高い路線とさえささやかれた。
そんな北海道のスキーツアーを大々的に宣伝してキャンペーンまで展開していたのが、国内線最王手の全日本空輸(以降:ANA)であった。
1996年、マリンジャンボの運行経験もあったANAは自社企画の北海道スキーツアー販売から25周年記念と販売促進を狙い、再びの特別塗装機を運航することを決定した。
運行期間はウィンタースポーツの繁忙期となる12月~3月として設定された。
こうして96年12月に羽田空港~千歳空港でデビューしたのが、
(ANA B747-400/D BigBard 1/500)
スヌーピー号でした。マリンジャンボや日本航空(以降:JAL)のドリームエクスプレスとは異なり、トリトンカラーの基本色を残し、機体の随所に漫画「ピーナッツ」の登場キャラクターを配置した。
ライバルのJALが左右非対称のデザインを繰り出していましたから、特別塗装の草分けとして、、

ANAも左右非対称です。。
キャラクターの配置は替わりませんが、スターボードサイドがスノーボード(もしかしてスターボードとスノーボードをかけた?)でポートサイドはスキーとなっています。
そしてどちらでもチャーリー・ブラウンはこけてます。。。

国内線でしか運行しないため、英字タイトル無し、尾翼のロゴも無しで尾翼にはANAロゴの代わりに

華麗にジャンプを決めるスヌーピーとウッドストックがかかれました。
ところで、、何でスヌーピー?
実は、当時のスヌーピーの知名度は極めて高く、日本人の誰でも知ってる有名なキャラクターであった。
なにしろ85年にはANAのスキーツアーの宣伝キャラクターとしてスヌーピーは就任済みで参加者がつけるワッペンにはスヌーピーが刺繍されていた。。
またJALのドリームエクスプレス、、、つまりはディズニーに対抗できるキャラクターとしても適任だったのでしょう。。
(ちなみに「ピーナッツ」はチャールズ・M・シュルツ氏原作のアメリカの漫画ですが、市場規模は日本市場が世界最大なんだそうです。。)
こうして好評を得たスヌーピー号だったが、、、
ANAの予想をはるかに超える反響を生んでしまった。。。
97年3月に予定通りに運行を終えたが、基本的に羽田~札幌に入っており、たまに伊丹に飛来する程度であった。
(ここから妄想。。。)
ANAセールス(セ):はぁ~~
ANA本社(本):セールスさん!お疲れ様!スキーツアー好評でしたね!
セ:えぇ~そうなんですけど、、
本:?どうしました?不景気な溜息なんてして?
セ:販促でスヌーピー塗ったじゃないですか?
本:うん。。好評だったね~~
セ:「スヌーピーに乗れなかった」とか「東京ばかり」とか
本:まぁ~1機しかなかったしね?
セ:JALのミッキーはいっぱい(5機体制)いたのに、、、とか、、、
本:・・・ほぅ(ピクッ)?
セ:キャンペーンの継続を求める声も結構きてて、、返答に困るんですよぉ、、、
本:向こうにできて・・・
セ:?
本:我々ができないとか思われてると?
セ:(えっ?キレどころ、、、そこ?)
本:よかろう!来シーズンもやってやろうじゃないか!!
(妄想終わり)
まぁ~こんなやり取りがあったかどうかは定かではありませんが、、
本来は25周年の節目であったはずの企画がなぜか翌シーズンでも実施されることに、、
こうして、、

(ANA B747-SR NetModel 1/500)
二代目スヌーピー号が登場しました。
先代機と区別するため、便宜的に先代をスヌーピー号1996、2代目をスヌーピー号1997と表記することが多いです。
デザインの基本コンセプトは同じで、今回もスターボードサイドはスノーボード、、

ポートサイドはスキーとなっています。
キャラクターは大きめに書かれ、先代機よりも存在感がアップしています。
そして、2代目は初代と決定的に異なるところがありました、、、
なんと、、2機存在したのです。。
ドリームエクスプレスの様にB767では実現しませんでしたが、羽田~札幌をベースにしたB747-400/Dと伊丹~札幌をベースにした-SRのジャンボ機2機体制での運行でした。

(型はHerpaの旧型に近いですが、足は新ギアにちかいです)
先代機ではスッ転んでいたチャーリー・ブラウンも2代目では無事ですね(笑)

日本での特別塗装機の草分けともいえるANAですが、、
実はB747-SRではこのスヌーピー号97が唯一の特別塗装でした。
当時は既に-400が主力となっており、-SRは退役が間近に迫っていました。
なお、このスヌーピー号97、、実はANAとしては初めて試みもあります。

それがエンジンナセルへの特別塗装の実施。
マリンジャンボもエンジンはそのままでした。
そしてスヌーピー号96もエンジンには手つかずでしたが、97では「黄色い鳥」ことウッドストックがかかれました。
エンジンに絵を描いたのは子会社(当時)のエアーニッポンのB737-500のエンジンにイルカを書いた例がありますが、ANA本体がエンジンにエンジンメーカーのロゴシール以外を施したのはこれが初めてでした。
大変な好評を受けたスヌーピー号でしたが、98年3月に予定通りに運行終了。
しかし、再度出てくることはありませんでした。
ANAではスヌーピー号が終了した98年夏に再びキャラクターの特別塗装機を就航させるのでした。

ところで、、NetModelのB747ってなぜかコックピットの印刷位置が上にずれ気味、、、
これはクラシックだけではなくB747-400でもみられる。
たまに丁度いい高さの製品もあるので、、もしかしたら丁度いいのがずれてるのかもしれない?
予告
ANAの国内線の発展を支えた国内線専用機の-SR。
一方で規制緩和を受けて国際線に就航したANAは国際線用に-200を取得するが、、
次回「SRとLRと・・・」