日本が先行きの見えない景気状況に沈んだ90年代初頭、そのなかで注目を集めて搭乗客の増加を狙い93年に登場した全日本空輸のマリンジャンボは当時の日本の空に強烈なインパクトを与えた。
それはフラッグキャリアとして君臨していた日本航空(以降JAL)とて例外ではなく、、
翌年の94年、国連が提起した国際家族年をひとつの契機として、格段の知名度を誇るディズニーキャラクターの起用を決定。
低迷する搭乗率改善のため家族旅行客の需要掘り起こしを図った特別塗装機の運行を決めた。
こうして夏の繁忙期に合わせ94年8月に姿を表したのが
(JAL B747-100SR NetModel 1/500)
JALドリームエクスプレスであった。
JALとしてもかなり気合いの入った企画であり、対するANAがB747のマリンジャンボとB767のJrの2機体制だったのに対し、
B747-SR 1機
B747-100B/SUD 1機
B767-300 3機
の合計5機の布陣に加え、全面ラッピングを施した専用バスまで準備するほどであった。
また、機体のデザインにも趣向が施され、
左右で非対称のデザインはJALとしてはかなり珍しいものでした。
初代ドリームエクスプレスは翌年の95年12月に終了となるが、JALをオフィシャルエアラインとする東京ディズニーランドとの提携は再びの特別塗装機の運行に繋がっていく。
東京ディズニーランドの拡張と新たなテーマパーク、ディズニーシーの開園、更にはディズニー生みの親ウォルト・ディズニー氏生誕100周年の折しもJAL就航50周年を記念し、再び特別塗装機を運航することになった。
このときはディズニーリゾート初の海をテーマにしたディズニーシーの開園もあり国際線にも就航する事も計画された。
こうして2001年に誕生したのがドリームエクスプレス21シリーズ、、ジャンボ機6機という超重量級の布陣だった。
まずは3つのテーマでデザインされ、
「友情・恋愛・家族」
のテーマパーク来園者の三大要素の表現、
つづいて新たに開園するディズニーシー、
最後はANAのマリンジャンボよろしく、一般公募で募り「夢」を表現した。
「友情」をまとったのが1号機JA8908
「FRIEND」号と名付けられた。
2号機は「恋愛」をまといJA8904が務めた。
3号機は「家族」をテーマにJA8083が務め、
「FAMILY」号と名付けられ、機体には家族愛を取り上げた作品のキャラクターが描かれた。
(FAMILY号だけが一般販売ではなく抽選となり生産数も他の1/3となる1000機だったらしい)
これまでのドリームエクスプレスの共通点は多少の差異はあれど、機体の後部にディズニーランドの象徴ともいえるシンデレラ城が描かれていた。
しかしランドとは異なるテーマパークであるディズニーシーでは全く異なるデザインが施される。
「TOKYO Disney SEA」
のタイトルが書かれ、ひと目で海をテーマにしたしたものであることがわかるデザインとなった。
ディズニーシー号は同じデザインで国内線にも就航し、5号機にはJA8905が充当された。
機材が国内線仕様の-400Dであった以外に変更はなかった。
この他に唯一の一般公募で6号機が「夢」をテーマに誕生する。
「DREAM STORY」号とつけられた同機には多種多様なキャラクターが描かれ、
機首周りが特に異なるため、先の「FRIEND」「SWEET」「FAMILY」とはかなり雰囲気の異なる機体に仕上がっていた。
これらの機体はウォルト・ディズニー生誕100周年とJAL就航50周年の記念塗装でもあったため、翌年2002年までの1年間の運行となり、好評ではあったが延長はされなかった。
(国際線機材についても整備スケジュールに関係なく終了となった)
その後もディズニーリゾートとJALの提携は続き、ハピネスエクスプレスやファンタジアエクスプレスへと断続的に続けられていく。
予告
特定の旅行需要を狙った特別塗装を得意としたJAL。対するANAも特定の旅行需要のキャンペーン塗装を実施していた。
次回「青き翼とピーナッツ」
オチ。。
最初のSRでスターボードサイドの画像がないのにお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
実はこの商品は製品としてエラーがあり、、
JAL公式のモデルではないこともあり、このようなエラーが発生したのでしょうね。。