先般、とある公式アカウントがあるハッシュタグをつけて投稿した。
「#ThankYou747」
投稿したのは他ならぬボーイング社の公式アカウントだ。
1969年2月9日に初飛行したジャンボジェットことBoeing 747、その生産最終号機の引き渡しが近々行われる事を発表したのだった。
最終生産機は貨物王手のアトラス航空向けとなり2023年1月31日に引き渡しが行われる事になった。生産数は1574機にも上った。
ジャンボジェットを語る上で外すことのできないのがこちら、、
最初のジャンボジェット機、B747初号機です。
B747は前代未聞の大型機でしたので、既存の施設での製造は困難でした。
そこでシアトル郊外、エバレットにあるペインフィールド空港に隣接する形で新工場を建設する。
これが今日までボーイングの主力工場となるエバレット工場の誕生となり、ペインフィールド空港は事実上ボーイングの専用飛行場の様相を呈することになる。
そもそもB747プログラムにはちょっとした背景がある。有名な話ですので省きますが、時期空軍向けの大型輸送機への提案に敗れたボーイングはそのラフプランと計画に携わった人員をそのまま使って民間用大型機を開発することを計画。
その話を当時の覇者、パンナムの打診する。
パンナムからは
「本気で作るなら25機かってやる」
と言われたとかなんとか。。
これを受けて開発がスタート。
パンナムから正式に25機を受注した事を発表するとノースウエストや日本航空などもこぞって発注する。
ラフプランがあったとはいえ、開発はスケジュールがタイトなうえ、数々の問題が立ちはだかった。
特に燃費を含むエンジンの性能未達はB747の最初から最後まで付きまとった。
少しでも軽量化をするために、結果として強度不足になることも発生した。そのためB747は見た目は同じでも中身が異なる状態が発生し後々に重大な事態を招くことになる。
(それは機会があったときに、、)

(この頃のヘルパは尾翼にプラを使うことが多く、紫外線の出る蛍光灯は変色の要因となりやすい)
B747の開発はパンナムとの口約束から始まったのは先の通り。通常はコンセプトを発表し航空会社からの発注を受けてローンチされて本格的な開発が開始される。
しかしB747ではローンチされる前から本格的な開発が始まっていた。ボーイングにとっては実のところ背水の陣であったのだった。
開発はボーイングが身銭を切る形で行われ、詳細設計が上がるまでの期間は通常では考えられない短期間であった。
パンナムの興味が薄れる前に形にしたかったのだろう。
こうして歴史上初の巨大な旅客機は誕生したのだが、、
誕生の前から構造上にも問題を抱える事になった。
B747にとって重量以上に問題となったのが主翼の異常なフラッターであった。
タイトなスケジュールを実現するためにB747では各部の詳細設計が終わるとすぐさま部品の生産が開始され、組み立てまで始まっていた。
その中で主翼の問題が判明したのは全工程の9割を越えた時だったという。
風洞実験の結果、主翼が異常なしなりをおこし破断する危険性がしめされた。
この時は既に主翼の組み立ても行われており抜本的な設計変更は困難であった。
そこで設計士ジョー・サッターはある奇策を提案した。
「主翼の先端1/3を前よりにひねる」
外側の第1、第4エンジンより外側になる部分を最大で3度程度の角度になるようにねじった。
こうすることで主翼が大きく反り返る事はなく、異常な振動(フラッター)の発生も抑制できる。
こうしてB747プログラムは無事に初号機の初飛行と多くの受注を獲得することに成功したのだった。この主翼をねじった奇策は設計士の名をとり「サッター・ツイスト」と言われた。
しかし、、
サッター・ツイストは主翼の揚力を1/3失う事に等しい対応であった。
ボーイングはその後B747の派生型をいくつも発表するが、主翼の設計はそのままであり、サッター・ツイストもそのままであった。
そんなB747に転機が訪れる。
マクドネル・ダグラスを吸収したボーイングは巨大機の需要の見込みは薄いとしB747の後継機種の開発を事実上凍結した。
この時にライバルのエアバスがB747を上回る巨人機A380計画を発表、これを受けてボーイングはB747の後継としてB747の更なる性能発展型、-8型の計画を発表した。
当時開発中のB787で採用した技術を取り入れ、初めて主翼の設計を大幅に変更。
貨物型と旅客型を同時に発表したがすぐさま貨物機型がカーゴルクスから受注を獲得した。
旅客型が受注を獲得しなかったのは貨物型とサイズが違った(全長)ことが大きかった。
航空会社からの要望を受け旅客型も貨物型と同じサイズに変更したところルフトハンザや中国国際航空などか受注を受ける。
こうしてB747の最終形態となる-8型が開発された。受注の経緯から貨物型が先行し、

(初号機は各種試験のあともボーイングに残り続け各種のテストベッドや宣伝に使用された)
B747として初めてサッター・ツイストを廃し、かつ初のストレッチを行ったB747-8Fが誕生した。-8Fでも燃費問題が起き、初期生産機においてボーイングは性能未達分の保証を追うことになるが、既存のB747と極力規格をあわせることで使い勝手の良さから受注を獲得。
旅客型では苦戦を強いられるものの貨物型ではA380Fプログラムを中止に追い込むまでに至ったのだった。

(最近のヘルパのB747では尾翼もダイキャスト製となり、エンジンの造形も精巧になったがプラ地のままであるところもあるため、相変わらず紫外線は御法度です)
そんなB747-8Fも新規の受注を得られなくなったこととB777FやB767Fの方が効率的との声を受け、ボーイングはB747の新規受注の締め切りを発表。
最後に発注したのはB747フレイターを数多く運行するアトラス航空だった。
受注締め切りの段階で旅客型の生産は既になく、元々が空軍向けの貨物機のラフプランから派生し将来的に貨物機への転用を考慮して開発されたB747は貨物機としての生産で幕を閉じることになったのでした。
余談、、
1/31のアトラス航空への引渡しでB747プログラムは正式に終了しますが、実はボーイングがB747を引き渡すのはまだ2機あります。
それがB747-8旅客型を改修したVC-25B、次期大統領専用機です。
生産後に納入先が倒産したため注文流れとなった-8型をアメリカ政府が購入しVC-25Aの後継に選定し23年1月時点で改修作業中となっています。
大統領専用機が最後となるのはB747の最後としては有終の美と言えるのかもしれませんね。。
予告
1500機余り生産されたB747。アメリカ合衆国の製品としても最高額となるこの飛行機をもっとも多く発注し同時に80機以上も運用したのはアメリカのパンナムでもノースウエストでもなかった。。
次回「フラッグキャリアとフラッグシップ」