1985年、「コンピューター」や「不死鳥」などと唱われたF1のトップドライバーが現役を退いた。彼の名は「ニキ ラウダ」

決して恵まれたとは言えない境遇の中でレース界のトップに上り詰めた彼が現役引退後に選んだのは空の世界だった。。

 

設立自体は現役時の1979年だったが運行を開始したのは引退直後の1985年、チャーター便からであった。

経営者であるラウダ氏自身もドライバー引退直後に運行機材であるB737の機長訓練を受けた。

(現役時に既にB737の操縦資格は取得していた)

こうしてオーストリアで創業されたのが今回の主役の1つ、ラウダ航空です。

 

オーストリアの首都、ウィーンを本拠地として開業し、1987年には早くも定期便を就航させ、89年にはタイのバンコク経由でオーストラリアのシドニー、メルボルンへの長距離国際線を開設するなど、経営は順調そのものだった。

(ラウダ航空 B767-300 ヘルパ製 1/500)
B737だけでなく、B767などの大型機も導入するなど、路線の拡大に合わせ機材の充実化もすすめた。
 
それは突然だった。
91年5月、香港からバンコクを経由しウィーンへ向かっていたラウダ航空004便(B767-300)がバンコクを離陸後に消息をたった。
上昇中に第一エンジンのリバーサーが作動し空中分解する事故が起きたのだった。
事故調査は困難を極め、リバーサーが起動した原因についての解明はできなかった。
メーカーであるボーイングは
「パイロットの回復操作が不適切」
と主張したが、ラウダ氏は反論。
最終的にはリバーサーが起動した時点で墜落は避けられなかったと結論付けられ、ボーイングが公式謝罪、遺族への賠償はラウダ航空とボーイングの折半となった。
(ラウダ航空 B777-200 ヘルパ製 1/500)
事故により業績が悪化したラウダ航空でしたが、その後は堅調に推移、業績は回復していった。
しかし、ラウダ氏の資産運用の失敗により資金難となったことから2000年にオーストリア航空へ経営権を売却。
大型機はオーストリア航空に移管、A320等のナローボディ機を使いチャーター便を運行するキャリアとなり2013年に運行を終えました。
 
ラウダ航空を売却したあと、ラウダ氏は再度航空業界へ参入を考え、ドイツの航空会社のオーストリア子会社を買収し、新たな航空会社を立ち上げる。
それが今回のもう一つの主役、ニキ航空です。
(ニキ航空 A320 ヘルパ製 1/500)
資本はラウダ氏とドイツのエアベルリンが25%ずつ支出していた。
ニキ航空は事実上、エアベルリンのオーストリア子会社であった。
当初は25%であったエアベルリンの出資比率は50%近くまで引き上げられた。
(ニキ航空 A320 ヘルパ製 1/500)
出資比率は引き上げられたが、子会社化はされなかった。
子会社化それなかった事がニキ航空を救うことになります。
2017年10月、エアベルリンは経営破綻し運行を停止した。しかしニキ航空は精算を免れた。
ところがニキ航空の運営は二転三転し混乱することになる。
(機首部分にNIKIのロゴがある以外は基本的にエアベルリンの塗装です)
エアベルリンの破産・清算の中でルフトハンザ・グループはエアベルリンと交渉し、ニキ航空株を含む同社の資産の買収を検討していた。買収した資産はユーロウィングスへ統合し同社の競争力強化を目的としていた。
こういった背景もあり、エアベルリンが運行停止した後もニキ航空は運行を継続していた。
しかし横やりが入る。
エアベルリンの資産を吸収することでルフトハンザ・グループが急成長し市場に大きな影響を及ぼす可能性をEUが危惧。
結果、ルフトハンザ・グループはエアベルリンからの資産買収を断念。
これによりニキ航空の運航も12月に運行を停止せざるを得なくなる。
(ニキ航空 エンブラエルE190 ヘルパ製 1/500)
運行停止に追い込まれて数日後、今度はブリティッシュエアウェイズを傘下に持つインターナショナル・エアラインズ・グループ(IAG)が買収を示唆し、同傘下でスペインのLCCへの統合を打診。
しかしエアベルリンが持っていたニキ航空の半数近い株を引き継いだ債権者から難色が示され、これも破談となる。
運行停止が続いたニキ航空の状況が大きく動いたのは年が明けて直ぐの2018年初頭だった。
創業者であるラウダ氏がドイツのトーマス・クック・グループと共同でニキ航空を債権者から買い戻すことで合意。
当時、ラウダ氏はニキ航空とは別にビジネスジェット機を運航するラウダ・モーションを運営しており、ニキ航空の資産はラウダ・モーションへ移管し一部の路線で運行を再開した。
ブランド名こそラウダ・モーションブランドであったが、実際にはトーマス・クックによる運営の形式だった。
(ニキ航空でのE190の運行はあまり長くは続かず、設立から運行停止になる2017年までA320が主力であった)
その後、ラウダ氏は保有するラウダ・モーションの株をイギリスの王手LCC、ライアンエアへ売却する。
これにてトーマス・クックとの共同運航は終了し、以降はライアンエアの子会社としての運行となった。
 
航空産業から事実上身を引いたラウダ氏は翌年2019年に波乱に満ちた生涯をおえます。
 
その後の旧ニキ航空はというと、、、ライアンエア参加の航空会社として形態を変えながらも健在です。
ラウダ・モーションからラウダにブランド名を変更したのちの2020年、拠点をマルタへ移し、ラウダ・ヨーロッパへと社名を変更。ライアンエアからの波動用の増発対応やチャーター便を行うキャリアとして30機程度のA320を運航しています。
 
 
次回更新は閑話です。