1976年4月、世界的な大富豪が壮絶な人生に幕をおろしました。


彼の名はハワード・ヒューズ。


地球上の富の半分を持つ男と証された人物だった。

映画と飛行機好きだった彼は自ら航空機メーカー、ヒューズエアクラフトを立ち上げたほか、自ら操縦士としてアメリカン航空で飛ぶなど、積極的に航空産業に関わっていた。


そんな彼が関わった、とある航空会社のお話。


1939年、当時国内王手のひとつであったトランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン航空(この当時の航空会社はやたらと長い社名が多い)を買収。

戦争終了後の1950年、国内線を主に飛んでいた同社は国際線、特に大西洋路線に進出すべく、社名をトランス・ワールド航空(以降:TWA)に変更した。

戦後のTWAは大西洋路線を中心に国際路線を積極的に展開、パンナムと凌ぎを削る巨大なキャリアへと急成長していく。


ジェット化も早く、最新鋭のB707はもちろん、

代表者のヒューズ自らが開発に関わったコンベア880をいち早く導入。

ライバルのパンナムと共に世界中にその名を轟かせていた。

(モデルは後期型の-320型)
堅調に推移した業績だったが、ヒューズ氏が抱えていた精神疾患が元で経営に混乱が生じる。
結果ヒューズ氏がTWAを去る形で決別。
経営方針が大きく変わり、ホテル事業などに進出するなど多角化を進めていった。
本業の航空部門では機材の大型化を推進しL1011、B747シリーズの導入を進め積極的な国際路線網の拡大を推し進めていた。
一方でパンナムと異なり国内線も多く運行しており、国際線国内線共に利便性が高かったためか多くの著名人御用達のキャリアとも言われた。

しかし栄華は永くは続かなかった。
パンナム同様に収益の柱であった大西洋路線の利益がジリジリ目減りしていった。
エールフランスやルフトハンザとの競合により収益を圧迫しつつあった中で、規制緩和が重くのし掛かった、、

しかし規制緩和によりパンナムを始め多くのキャリアが姿を消すなか、TWAは辛くも生き延びていた。
パンナムと異なり国内線も多く運行してた事やヨーロッパ路線の他中東路線の整理や売却、固定費削減のため拠点を移動するなどして経営効率化を計っていた。
機材面でも効率化を計り、
B767やB757の導入を進め、運行コストの削減を進めていた。
しかし規制緩和に続き、湾岸戦争による燃油の高騰や国内線においてもLCCの台頭により収益の圧迫は続き、1992年と1995年に破産法(チャプター11)を申請する。
破産申請はするも運行は継続し経営再建を計っていた。機材の刷新は続き国際線や幹線向けにB777を、ローカル線向けに
B717導入を進めた。
経営再建の中でも路線の拡大を計画していたが、ニューヨークを離陸したB747の空中分解事故により全てが頓挫する。
テロや整備不良などが疑われるなか、原因究明に長期間をようした。

経営再建が頓挫したTWAにとって残された選択肢はなかった。

決別したハワードヒューズがかつて操縦士として勤務したアメリカン航空により買収、吸収合併により2001年に法人は消滅したのでした。
TWAの消滅により規制緩和以前の栄華をしるキャリアが姿を消すことになった。
結果として生き残り、メジャーキャリアとなったアメリカ王手各社であったが、残った各社もまた混沌とした世に翻弄されるのでした。


予告
飛行機にめせられたハワードヒューズ。
飛行機に魅せられた富豪のように、夢を追いかけて空の世界に飛び込んだ人のお話。
次回「F1レーサーと航空会社」