注意:今回の回は投稿者の「考察と推測」が多分に含まれております。予めご了承の上でご覧ください。

 

勤め先での勤務変更に休日出勤、、、

おはよう から おそようまで会社に縛られる、、

昨日元気だった同僚が、今朝には病んで休職する、、

それが自称「ホワイト企業」の日常です。

 

というわけで、更新が滞っておりましたが、、

気を取り直しまして、、、

 

時は1990年、、国内路線最王手であった全日本空輸(以降:ANA)は先に導入されたB767型と最大機材のB747での供給量が大きいために、その間を埋める機材を欲していた。

一方で子会社化していたエアーニッポン(以降:ANK)に国内ローカル線を移管しつつ、両者での共有事業機材としてA320を導入を計画し、機材の運用効率の改善を狙っていた。

その中で、エアバスが提案した操縦ライセンスの共通化に興味を示したANAは同社が提案してきた中型機、A340を5機発注することにした。

A340を発注したのはキャパシティの他、国際線=洋上飛行となる日本の航空事情的な背景もあったものと思われる。

 

ところが、これは直ぐにご破算となる。

 

主たる要因となったのはアメリカ・ボーイング社がANAに提案したB767Xプログラム。

後のB777プログラム。

ボーイングは新型機の開発に当たり運用側である航空各社から意見を募り、より顧客のニーズにこたえた航空機の開発を掲げた。

ワーキング・トゥギャザーと言われたこの企画にボーイングは日本のJALだけでなくANAも招聘したのだった。

これへの参加に伴い、A340の導入には暗雲が立ち込め、、結果的に全てがキャンセルとなる。

 

この代償として、、、

B727と同クラスで国内ローカル線での運用に適する後継機として発注されたのが今回の主役。

A320の胴体延長型のA321です。

なお、A321はA320の胴体を単純に伸ばしただけではなく、一部に設計の変更などもあります。

が、今回はあまりに悲運だったハイテク機、ANAにおける第1期のA321について触れていきます。

 

1991年にA320を受領したANAは国内線に順次投入していき、当初の予定通りにANKとの共通事業機材として運用した。

発注はANAであったが、一部の機材にはANKの塗装が施されていた。

エンジンにはGE主体で設立された合弁企業のCFMインターナショナル(以降:CFM)が供給するCFM56エンジンが選定されていた。

このCFM56エンジンは後にANKが導入するB737-500の搭載エンジンにもなる。

(日本においてはA320の方がB737-500より先に就航している、、)

A320の就航の後、A340の発注キャンセルに伴う代償的にANAはエアバスに対して事実上の注文替えという形でA321の発注を行う。

しかし、この発注の際に面倒な事が起きた。。

横やりを入れいたのはお国だった。。

(のちに起きるB777同時運行停止問題も結局同じような案件)

当時の通商産業省(現:経済産業省)がANAのA321導入の際に注文を付けた(と言われている)。

その注文というのが、、、

「日本製品を使用した製品を導入せよ」

というものだったとか、、

 

A320もA321もエンジンを2種類から選択できる。

候補は先述のCFMのCFM56エンジン

もう一つが色んな国・地域の企業が参加した国際合弁企業のインターナショナル・アエロ・エンジンズ(以降:IAE)のV2500エンジン。

問題となったのは両者のエンジンにおける日本企業の参画割合だった。

アメリカのGEが主導しているCFMと日本企業自体が参画しているIAE、、

当時の通産省は

「日本企業に有益な選択=IAEを選択しろ」

と言ってるようなものだっただろう、、、

 

(この体質は各社がATR72ではなくQ400を選択し続けた背景にもなってる、、、と個人的に思ってます)

 

こうしてA340の代わりとして合計で7機が発注されたA321はどういうわけか先に導入されたA320とは共通性のないV2500エンジンを搭載した仕様で導入されることになった。

奇しくもA321の導入98年の前年97年はANA創立45周年ということもあり、導入されたA321の1番機と2番機は日本各地の風景を胴体に描いた特別塗装機としてデビューすることになった。

新型機をアピールするために胴体上部には機種名のA321を書き、その下に窓をネガの穴(パーフォレーション)に見立ててフィルムに映し出された風景の様に演出された。

なお、これは塗装では困難であったため、当時としては珍しくデカールで処理されている。

当時のデカールは上空の強い紫外線と空気との摩擦による熱に弱く退色が速かったが、メーカー新開発の退色しにくいデカールを使った試みだった。

このスペシャルラッピングは1年ほどだったが、実際に描かれていたように、A321は日本中を駆け回って飛んでいた、、、

しかし導入がたったの7機であり追加はなかった。

それどころか残酷な宣告が成される、、

10年と経たずにANAフリートを離れ、売却されることになった。

初号機のJA101Aが受領されたのは98年、しかしそれから10年程度2008年に全機が売却された。

10年未満の機齢ゆえ、解体された機材はなく、現在でも全ての機材が他のキャリアで運用されている。

ANAは表向き、、

「当社の路線の需要に合わなかった」

としたが、そもそもA321とB727の供給力はほぼ同じであり、供給過多とは考えにくい。

更にそれから10年と経たないうちにANAは再度A321を導入する。

今度はCFM56エンジンを搭載して。。

ANAにとって少数派でメンテナンス上も効率の悪いV2500エンジン搭載は極めて大きな影を落としたのでしょう。

非常に短い運用期間に終わった第1期のA321、、

その短命の要因は飛行機のせいでも運行した会社でもなく、

企業活動に茶々を入れて引っ掻き回した所にある、、、と私は考えてます。

 

(途中で出てきましたB777同時運行停止問題は機会がありましたら、、、)

 

最後に、このラッピング機について、、、

ラッピングにプリントされた地点は機首から順に北海道から九州へ南下していきます。

そして左右で異なる地域がプリントされているんです。

プリントされた場所は左右で合計22か所です。

(一応1号機、2号機で共通のようです)

 

 

次回、、、

短い期間ながら胴体に日本の風景を描くことで多くの人の記憶に残ったA321。

この戦略をANAが考えられたのは前例がある。

次回は日本における特別塗装の草分け、空飛ぶクジラのお話。