時は1970年代、、

74年に全日本空輸がL1011を導入した年に日本航空(以降:JAL)は短中距離国際線及び国内線向けの機材としてマクドネル・ダグラス社のDC-10の導入を決定しまず6機の確定発注を実施した。

 

そもそもDC-10はどんな飛行機かといえば、、

アメリカ国内線向けに開発された短中距離機です。

その後、航続距離の延長を望む声を受け、燃料タンクの追加やそれに伴う重量の増加に耐えるためにセンターギアが装備された改良型の-30型が生産される。

結果として-30型が最も多くの生産数を記録し、現行アメリカ空軍で運用されているKC-10も-30の派生をベースにしている。

 

しかし、その-30型の導入に踏み切れないキャリアがあった。

それは日本でもおなじみの赤い尾翼のノースウェスト航空(以降:ノースウェスト)である。

ノースウェストは初期からのB747のオペレータであった。

B747は当初エンジンの選択制がなくプラット&ホイットニー社のJT9D一択だった。

これは当時としては珍しくない。

 

現在も当時も大型機向けエンジンのメーカーは3社であり、

アメリカ:プラット&ホイットニー(以降:PW)

アメリカ:ジェネラル・エレクトリック(以降:GE)

イギリス:ロールスロイス(以降:RR)

の3社が供給している。

 

当時のアメリカ製大型機は以下を選定していた

ボーイング B747:JT9Dエンジン(PW)

ロッキード L1011:RB211エンジン(RR)

マクドネル・ダグラス:DC-10 CF6エンジン(GE)

 

後にB747では3社のエンジンを選択できるようになるが、それは性能向上型の-200型からであり、初期の-100型から運用するノースウェストにとっては搭載するJT9Dエンジンとメーカーから違うCF6エンジンを積むDC-10は整備面で効率が悪かった。

ノースウェストからJT9Dエンジン搭載の打診を受けたマクドネル・ダグラスはPWのJT9Dを搭載する計画を進めたが、、

ここで問題が起きた。。

JT9Dエンジンは重量もCF6エンジンより重く、かつ燃費が芳しくなかった、、

結果としてノースウェストが求めた性能を発揮できない事になる。

急きょJT9Dの派生型JT9D-20Wエンジンを搭載することになる。

(最初に搭載を計画したのはJT9D-15エンジン)

両者の最大の違いは水噴射の有無だった。

水噴射とはジェットエンジンの燃焼室の直前で霧状の水を空気に混ぜる事で燃焼室で水蒸気となり排気、、

結果としてエンジンから出されるジェット噴流の量が大きくなる分推進力が増す、、というもの。

(欠点として燃焼室での不完全燃焼も誘発するため使用時に大量の黒煙を吐く)

それでも航続距離で800キロほど-30型より劣る状態であったが、ノースウェストはこの-40型を導入する。

引き渡しは1972年だった。

 

その2年後、、JALでもこの性能的に微妙な立ち位置のDC-10-40の導入を決定する。

この時も-30型ではなく-40型だったのは搭載エンジンがJT9Dであることが決定打の一つだった。

(JALの企画商品の一つです、、まさかこの仕様で商品化するとは、、、)

ノースウェストでの運行開始から数年たち、日進月歩のエンジン開発は格段の進化を遂げていました。

JALに引き渡されたDC-10-40は搭載エンジンがJT9Dシリーズなので便宜上-40としているが、全くの別物であった。

搭載エンジンはJT9Dの発展型JT9D-59Aとなり推力と燃費が格段に向上し、水噴射を排している。

また推力の向上により最大離陸重量が-30型と同じ259トンに向上している。

(ノースウェストが導入した初期-40型は251トンだった)

正にいいことずくめ、、、

 

なのに、、、

マクドネル・ダグラスはこの後JALから言われた特注に困惑したに違いない、、、

そもそも、、、

短い航続距離を伸ばすために燃料タンク追加とセンターギアを装備して-30型を作った!

GEはやだ!PWが欲しい!と言われたので無理くり-40型を作った!

そしてエンジンの性能が良くなって、-40型もいい感じになった!!

とマクドネル・ダグラスはJALから注文に自信満々で臨んだに違いない、、、

(ヘルパの都合で-30と同じ型で作られてますね、、実機はエンジンのコーンは見えないです)

ーーーーーーーこれは妄想です、、、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

JAL「259トンの離陸重量はうちの国内線じゃ重すぎるんで、、200トンくらいで」

MD「はっ??」

JAL「あと200トンくらいならセンターギアなくても問題ないんで、センターギアも要らないや」

MD「えっ??」

JAL「もしかしたら、将来的に長距離飛ばすかもしれないから、センターギアの設置場所はヨロ」

MD「はぃっ??」

JAL「あとうちの国内線じゃINSは2基で充分なんて3基目は省略してちょ」

MD「・・・・・・」

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こんなやりとりがあったかは知りませんが、、

恐らく受注したマクドネル・ダグラスは初めて聞かされたであろう日本国内線特有の事情に困惑したに違いないし、

「-40型は長距離機じゃ!短距離が欲しいなら-10型を発注しろ!!」

とでも思ったのではなかろうか、、、

(でもJALはDC-8の太客でしたからね、、、)

 

こうして誕生したのが-40Dと呼ばれる日本国内線専用のDC-10です。。。

ほんとに日本の航空事情は群を抜いて特殊なのです。。。

なお、-40D型は-40型のセンターギアを外しただけです。

なので、中には普通の-40型のセンターギアを電気的にカットして格納したままにした機材や、、

-40型のセンターギアを一時的に撤去した機材もあったりしました。

実際、JALが導入したDC-10-40はD型含めて20機しかなく、更に新造でD型だったのは7機しかありませんでした。

 

そんな日本国内特化型の-40D型ですが、B777の導入で国内線から完全退役を迎えます。

その後国内に居場所を失った-40D型でしたが、センターギアの装備や省略されていた3基目のINSを搭載して国際線に転戦。

本来の後継として導入されたMD-11が早々に戦線を離脱していく中、結果的にMD-11より生き延びて2005年に最終運行を終えました。

最終運行に充当されたのはJA8541号機で25年間の運用でした。

(モデルになったのは実は1番機のJA8530、実は1号機から-40D型だったりしてました)

全期間通して29年にわたってJALではDC-10を運用しましたが、その中身は中々濃いものがあります。

 

日本国政府専用機が導入されるまで、政府関連の運行はもっぱらJALが受け持っていました。

その中でB747ほど大きくなくサイズ的に手ごろであったためよく政府関連の特別機として運用されていました。

また日中間の国際的な問題故にJALが直接運行できなくなった台湾線に日本アジア航空としても従事。

大きすぎないけど十分な航続距離を持っていたためリゾート向けチャーター便を運航したジャパンエアチャーター(後のJALウェイズ)でも運用された。

また1995年にANAがL1011の運用を終えており、2005年にJALからDC-10が退役したことで日本の民間航空から3発旅客機が姿を消すことになりました。

 

 

さて、、次回は、、

本来なら必要なはずのセンターギアを取っ払ったJAL!

一方でセンターギアを「つけてもいいよ」的にオプションにしたら、結局全ての客がオプションで選択した、、

そんな長距離ライナーのお話です。