高度経済成長真っ只中の日本において、国内での移動需要は飛躍的に伸びていた。
その中、国内幹線を中心に運行していた全日本空輸(以降:ANA)は日本航空を出し抜く形で先んじてB727を国内線に就航し、国内線のジェット化を推し進めていた。
しかし、高速化だけではさばき切れず、機材の大型化が急務となった。
そこで、ANAでは1970年に次期主力機となる大型機の選定を開始。
事故や外的な要因などで難航するも1972年に騒音関連の項目などを重要視しL1011が選定されることになる。
なお、この選定の裏で防衛庁まで絡む大スキャンダルが発生しているが、
ここでは趣旨から外れるため割愛します。
最大で21機が導入されたANAのL1011。
同社初の大型のワイドボディ機であることと、当時最先端の技術で製造された同機はANAの主力看板機として大々的に宣伝されました。しかし、、
その栄華は導入された矢先に陰りが見え始めてしまう。
ANA向けL1011初号機が運行を開始したわずか数年後、、、先述の大型機B747SRがデビューすることになる。
選定時の予想をはるかに上回る伸びで国内の航空需要は増大していった。
その結果ANAは主力機をB747SRへと軸足を移し、L1011は主要地方都市を結ぶ亜幹線へと就航先を移す。
と同時に導入から10年とたたないうちに売却される機材が出るなど、早くも機材整理の対象へと追いやられてしまう。
このままわずかな期間で消えるかのように思われたL1011が脚光を浴びたのは1982年だった。
翌年に控えた新鋭機B767の導入に先んじてANAは新しいロゴと塗装を発表。
それを最初にまとったのがL1011 JA8514だった。
基本ストライプが多い航空機の塗装の中で機首から尾翼にかけて伸びていく2色の青で塗られたトリトンペイントは当時はかなり斬新なデザインだった。
既に一部の機材は売却され全盛期とは言えない状況ではあったが、それでも主要な路線に就航していたL1011にこの塗装を最初に施したのはANAとして新しいブランドイメージを示す狙いがあったのかもしれない。
また当時日本でも行われていた規制緩和の中で国内幹線・亜幹線への就航に事実上制限されていたANA初めての国際線の運航が限定的に認められた。当時はまだ近距離路線に限られてはいたが、香港・グァムなどへの就航を果たし、この時に起用されたのがL1011だった。
フラッグシップとしての活躍は非常にわずかな期間に終わってしまった同機でしたが、国内線専門だったANAが国際線に就航する礎を築いた。
その後キャパシティ的にはB747に経済性ではB767と比較され続ける中、B747でさえ退役に追い込んだ強敵B777の導入が決定打となり1995年に全機退役。導入から21年で姿を消すことになった。
模型に目を向けます。
実はANAのL1011は短い活躍機関の中で塗装に色々とバリエーションが存在します。
大別すると
モヒカンペイント(導入時)
トリトンペイント(1982~)
トリトンペイント英字タイトルあり(一部)
このほかに機首レドームの色違いもあったり、導入最初期はエンジン形状が少し違ったりと、、、
結構変化に富んでいます。
模型のモデルになっているJA8509はANAにとってもメーカーのロッキードにとっても記憶に残る機材で、
L1011通算100機目のメモリアル機材、
1986年に就航した成田~グァム線に初便に充当された機材でもあり(英字タイトルがあるのはこのため)、
1995年11月30日 L1011最終便 鹿児島-羽田NH626便に充当された機材でもあります。
世界的に見てもL1011は販売不振に苦しみます。
新たな顧客開拓のためロッキードは苦肉の策でL1011の派生型を送り出します。
次回はそんなL1011で最も苦労が垣間見える派生型のお話です。