時は1960年代、、、

民間旅客機において成功を収めたボーイングのB707やDC-8が主要な航空会社でフラッグシップとなり就航していた。

しかし、この当時、コンコルドに代表される超音速旅客機の開発が進行し、将来的に旅客機の主力は超音速機にとって代わる、、、

と信じられてたそうな。

一方で、旺盛で堅調に伸びていく航空需要に当時の細く短い胴体のB707はライバルのDC-8の様に胴体の延長での対応が困難な状況に追い込まれていた。

乗せられても200名程度のキャパシティしかないB707の供給力に業を煮やした当時のパン・アメリカン航空は超音速機に並ぶフラッグシップとしてB707の倍のキャパシティを持つ大型機を要求、、、

 

こうして誕生したのがみんな大好きジャンボジェットことB747となる。

そんなジャンボジェットを日本の航空会社も運用するが、、

日本特有の事情で珍妙な形式が誕生することになる。。

長い前置きでしたが、今回の紹介はこちら、

狭い国土にも関わらず旺盛な航空需要、、一方でおいそれと増やせない便数ゆえに、1便当たりの供給量を引き上げるために爆誕した「短距離用ジャンボジェット」の代名詞、、B747-SRです。

形式的にはB747-100型の派生という扱いになり、B747SR-100となります。

発注したのはもちろん日本の日本航空(JAL)と全日本空輸(ANA)の2社のみ、、

なお、この2社のSRには違いがあります。

最初に運行を開始したJALでは最初期の-100型からのユーザーということもあり、エンジンにはプラット&ホイットニー社のJT9Dを搭載しますが、後発のANAではすでにエンジンの選択が可能になっていたこともありジェネラル・エレクトリック社のCF6を搭載します。

SR型の基本的な構造は、、

-100型の機体を基本に繰り返される与圧に耐えるための構造の強化と回数の増える離着陸に備えて強化型の降着装置の装備(-200B型の物を基本にブレーキ関連の強化)等、、、

その他、離陸重量の低減(着陸料の節約になる)など等、、、

でもそこはジャンボジェットですので、

あえて離陸重量低減のために搭載していた低出力エンジンを従来の-200B型と同じエンジンを積む、長時間飛行に対応するための改修を受けることで制限されていた離陸重量を引き上げることができ、7000キロ以上の航続距離を実現する事が出来ました。

(要は、基本的なスペックは-100型で、性能を意図的に制限したモデル、、)

この日本特有の事情はこの後も継続し、新型の-400型が誕生してもなお顕著で日本ではともかく海外のマニアを大混乱に陥れる-400D型の誕生へとつながることになる。

塗装の方に話を振りまして、、

実はANAにとってSRが最後のモヒカンペイントで受領した機材。

ANAが塗装をモヒカンペイントからトリトンブルーに変更したのはB767の導入に合わせてのものでした。

B767の就航は1983年からですが、それに先立ち1982年より塗装変更が実施されますが、1982年11月にロールアウトしたSR-100最終号機は従来のモヒカンペイントで竣工、、、

その結果SR-100型はモヒカンペイントが最後まで残った機種となりました。

(たしか、最初にトリトンペイントになったのはL1011じゃなかったかな、、、)

 

そんなわけで次回は最初にトリトンペイントをまとった悲運なフラッグシップ機の紹介です。