昨日に続きまして、An-225 ムリーヤの紹介ですが、今回はまだウクライナがソ連に組み込まれていた時のものです。
現在はO・K・アントーノウ記念航空科学技術複合体というウクライナの国営企業です。
ロシア語での読み方がアントノフで、ウクライナ語での読みがアントーノウになります。
ソ連版スペースシャトルの運搬のためにムリーヤの開発が成されましたが、
その搭載した姿がこちら、、
アメリカはNASAのSCAと同様に背中にものを直接載せて運びます。
前回で触れましたが、ムリーヤの背中の大きなコブはこれを乗せるためのものです。
コブのほかに機種(船首?)部分に1か所と後部に2か所の拘束用の支柱で固定します。
しかしながら、ムリーヤが実際にブランを乗せて飛んだのはほんの数回。
というのも、ブランの初めての試験飛行が1988年、ムリーヤの初飛行も1988年、
そしてブランが有人飛行を計画していたのが1992年、、、
ソ連の解体が1991年、、、
ソ連の崩壊とともにブラン計画も頓挫してしまい、運ぶものを失ったムリーヤも存在価値を失ってしまったのでした。
存在価値を失ったムリーヤを待っていたのは原型機であり、当時から元気に飛んでいたAn-124ルスランへの部品供給元、、
部品取りのスクラップでした。
情勢が変わったのは1999年ごろ、、
ルスランでの貨物空輸事業を手掛けていたANTKアントーノウによる超大型貨物輸送事業の成功を機に事実上スクラップ状態になていたムリーヤの現役復帰を発表。
はぎとられた部品の生産、改修や各種飛行機器の改良を加え2000年ごろに再就航を果たしました。
その際には必要のないブラン拘束用の支柱などは撤去されましたが、機体フレームに直接干渉する数々のコブはそのままになり、ムリーヤの本来の役目を彷彿とさせる特徴になりました。
ロシアの指導者の暴走で破壊されてしまったムリーヤですが、再建の意思をウクライナ大統領が示しています。
破壊されたムリーヤは胴体中央部から機種にかけて、右翼の大部分を焼失しています。
幸いなことはルスランとの共通点が多い事、
保管されている未完成の2号機の状態次第ですが、組みあがっている胴体を流用できる可能性があること、
エンジンもルスランと共通のものが使用されていること、
などを考慮すると、、
非常に困難ではありましょうが、不可能ではない、、
この正義のないロシアの凶行が終わり、再び飛んでくれることを願ってやみませんね。。
次は航空マニアの誰もが大好きな3発機からご紹介です。
(私は実機を見た時テンション爆上げでした。。。)