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ちあき庵さんのブログを知り
素敵なお方だな、、と生き菩薩のように感じて
ちあき庵さんの言葉を待つようになりましたが
それから間も無くお空へ旅立ってしまいました
そして亡くなった後も娘さんやお兄さんが
ちあき庵さんの言葉を求める人のために綴ってくださってます
昨日
ちあき庵さんの書き残した言葉を読み
健常であることだけでもどれだけ幸せであるかを
好きなように人生の選択をしてこれたのは
すべて健康であるがゆえ
感謝しているつもりの自分
今を生かされていることを後悔なく大切に
本当にできているのだろうか、、
と考えてみましても、それすらなんとなく
頭の片隅に。。
このところ義父が体調を崩して入院しておりましたが
インフルエンザから肺炎が長引き、なかなか快復しないな
働きすぎだったし少しは休暇になってるかな
そんな軽い気持ちでおりました
それから6日経ち
病院から呼び出され向かいましたら
ベッドに倒れこむような体勢の義父はまるで別人で
呼吸をするのがやっとの
話すこともままならない状態でした
でも、検査して別の治療を始めたのだから
今度こそ回復するのでしょう
そうとしか考えませんでした
それから2日後の今日
また朝から呼び出されました
主人の弟と私で向かうと
これまでの経過とこれからの方針を話されました
『今すぐにでも人工呼吸器をつけないと呼吸が止まりそうです』
呼吸が止まる
死んでしまう
意味がわからないわけないのに
まさかあの元気にしていた義父が入院して一週間後に危篤?
人工呼吸器をつけることになると
会話はできなくなります
何か話さなくては
何と声をかければよいのか
朦朧とする義父に声をかけると
ちゃんとこちらを向いてうなずくような仕草
呼吸がらくになるからね、と言うと
懸命に応えようと振り絞って出た声は
うめき声のようなものでしたが
きっと、わかった、と言ってくれたんだと思います
処置が終わって
ベッドに横たわる義父は昏睡状態です
ついこの前までいつもと変わらぬ生活の中
夫婦の数年先の事など考えて
孫の誕生日を楽しみにして
未来のために生きてたと思います
こんなに急変するのなら
2日前の時点で家族を呼ぶことはできなかったのだろうか
たまたま都合がついて病院に向かった嫁の私と夫の弟と2人で
あの時点でそんな判断はできなかった
良い方向にしか考えられなかったから
今も苦しいだろうれど
生きてほしい
回復してほしい
もしもの事を考えて
準備をしながらも
眠れない夜になりました
数時間前に綴られたちあき庵さんのお兄さんの思いを読んで
前日の言葉を読み返して
やっぱり私はわかっていなかった
今を大切にできてなかった
後悔ばかりです