間もなく、震災から2年が経ちますね。
私はあの日、まだ東京の支店で働いていました。
朝からいつも通りお客様を迎え、施術し、食事をして、洗濯をして、と何も変わらない日でした。
午後になってお客様が2名いらしていて、私と韓国人スタッフと隣同士で施術していました。
お2人ともお顔のリンパマッサージをしていて、うとうとされていて、私も静かな午後の空間にゆったりとした気持ちでいました。
カタカタカタ・・・
最初は小さな揺れで、お客様とスタッフと、「地震ですねー」なんて言っていました。
ガタガタガタガタ
でも、1度止まったんです。
次の瞬間、ものすごい揺れと同時に、たくさんの物が落ちる音。
お客様の悲鳴。
スタッフの悲鳴。
「すぐに着替えて下さい!!」
ロッカーのカギを渡して、お客様、1分もしない内に出て行きました。
立っていられない揺れでした。
でも、どんどん上の物が落ちてくるし、お客様の石膏マスクも落ちてぐしゃぐしゃに、カルテも散乱、プリンターも下に落ちてくるし、もう、何が何だかわかりませんでした。
お店はビルの7階と8階を使っていました。
7階が二階建ての造りになっていて、中から8階に行けるのです。
お店の2階の方はそれはそれはひどい状態でした。
あまりの揺れの強さに、お店の中を歩けなかったです。
とりあえずおさまった頃に韓国人スタッフに、
「上着を着て、お財布と携帯を持って下に避難して!!」
と声をかけ、出掛けていた店長に連絡するもつながらず。
母に電話してもつながらない。
もう、どうなるんだろう・・・
私も下に避難していくと、ものすごい人でした。
こんなに人っているんだ、と思うくらいの人。
みんなどうして良いのか分からず、ただただ立ち尽くすと言った感じでした。
余震もものすごく、目の前に立っている高層ビルが横に揺れているのを見て、ものすごい恐怖を感じました。
空がどんどん真っ暗になっていって、雨が降り出して。
「日本沈没」の映画を思い出していました・・・
おととい、お母さんと電話で大きな地震来ないといいね、って言ったばっかりだったなあ。
お母さん、1人でどこにいるんだろう?
と、思っていたら人ごみの中で携帯のワンセグを見ていた女の子グループが、
「宮城、ヤバいよ!」
宮城?宮城って言った?
もう一気に不安のどん底に。
片っ端から母や親戚、友達などに電話しまくっても、まったく通じず。
電話もつながらない、誰ともつながれない。
恐怖でした。
暗いですね(笑)でも続きます。