こんばんは!
@Rico です。
高尾山巡礼の続きですよ^^
前回、御本社のところまでやってきましたね
階段の両サイド岩斜面には、
青銅の三六童子さま✨
※童子さま達は、不動明王さま🔥の御眷属であり、
三六童子の名を唱えれば、悪霊は退散し、崇拝するものを背後から守護し長寿をもたらす、といわれます
ちなみに、高尾山麓から薬王院までの道のりにも
三六童子さま✨がいらっしゃるのよ☝️
(こーんな感じ↓)
して。
階段を上がらせていただくと
朱の鳥居⛩️
御本社✨
(飯縄権現堂)
龍さま🐉の彫刻がスゴいのです‼️
(別の日の写真↑↓)
向かって左には、
大黒天さま✨
飯縄大権現さま✨
さらにさらに。
テクテク👣と進んでいきますよ^^
不動堂(奥之院)✨
元々は、現在の本堂の位置にあった
護摩堂を移築したのです🔥
堂内には、二本の来迎柱が建てられ
その前には須弥壇が置かれ、
室町時代の不動三尊像が安置されているそうな🙏
(開山の行基菩薩像、中興の祖、俊源像も)
不動堂の裏手には
冨士浅間社✨
なぜに、浅間神社⛩️さん?
と思われるかもですが、
HPには、以下のような説明がありましたよ☝️
(ざっくりとまとめると以下の通り)
☑️「飯縄大権現様は不動明王の所変にして、慈悲救生の霊尊なり、諸障衆魔を祓い、所願速成を示し給い、如意満足を与え給う」と室町時代末期より戦国の時代に入り、高尾山は、多くの武将の信仰を集めた。
☑️ 特に小田原の後北条氏の尊信は篤いものがあった。
☑️ 「北条記」(巻六)によれば、『行基菩薩開山の薬師如来本尊也是へ富士山の浅間大菩薩を勧請し奉る』とあり、北条氏康によって天文年間、高尾山に富士浅間大菩薩が勧請された。
☑️ この冨士浅間社こそかつての高尾山奥之院そのものであったと伝えられる。
・
・
・
江戸時代中期以降の冨士講において、
富士山道中の道筋の取り方は、
・江戸を中心に、埼玉、千葉、神奈川から八王子に出て高尾山に参拝
・小仏峠を越えて甲斐路を辿り、大月、都留、吉田に入り北口浅間神社に詣で
・登山、頂上のお鉢を巡り、須走口、御殿場口へ下る
・足柄峠を越えて、最乗寺へ道了尊詣で
・更に簑毛から雨降山に登り石尊権現に詣で
・下って大山寺不動尊に詣で
・厚木、上鶴間を経て府中、あるいは世田谷に通じる大山街道を、または、伊勢原から藤沢に道を取り東海道を登り江戸に帰る
というのが主だった道筋であったそうな
高尾山は、富士山の「前立ち」
大山が、「後立ち」である
とする信仰が在ったと伝えられているのですね✨
てなワケで
まだちろっと続きますよ。
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために