こんばんは!
@Rico です。
本日10月10日
虎ノ門金刀比羅宮さん
秋の大祭✨でした^^
露店もたくさんで、めっちゃ賑わってます❗️
もう、いつもとは全く違う雰囲気✨✨✨
なぜか、ピピっと来て
これはうかがわなくては‼️と思ったのは、
今年2023年
節分に間に合うように授かった
こんぴらさまの御神符✨の流れと思うよね💡
この流れはこのあと引き続き、
弘法大師御誕生1250年記念の年に
善通寺さんと金刀比羅宮さん(本宮)に参拝することに繋がっていきますね^^
→まだ、詳しい話を書いてないぞ💦
で。
そんなこんなで
大祭式のはじまる前に無事に到着ー‼️
ホンマにいつもと違う‼️
表紋の◯金✨
陰紋の天狗の葉団扇🍁
ドキドキしながらのご挨拶です🙏
すると。。。
脇の入り口から、続々と人が社殿に入ってる😲
→むむむ🤔 これは参列できるってコト⁉️
(もちろん、いざ❗️出陣✨✨✨)
「オロー」をお供えしてから、失礼いたします🙏
中は、ほぼ満席🈵状態で
奇跡的に空いてる場所を発見❗️
ありがたく参加させていただきます🙏
(しかも、前の席が席取りされていたのやけど、空いていて、そこにお式が始まっても人がいらっしゃらなくて。。。めっちゃ見通し良き場所でお参りできました✨✨✨)
ドキドキ^^
ドキドキ^^
こういうお式には何度か参列しているので
雰囲気や次第の流れはなんとなく分かるのやけど、
やはり、御簾✨の上がった後の感じは
特別なものがあります🙏
→ぶわぁーっと感がスゴいのですよ。。。
(こちらは、入り口のあたり⬇️)
御由緒
当宮は1660年に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、1679年、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
(詳しくはこちらHPを⬇️)
御祭神
大物主神✨
大国主神と少名彦神が国造りの際、事を為す前に少名彦神が海の彼方の常世の国に渡ってしまい大国主神が嘆いていたところ、遠い沖合いから海原を照らして光り輝きながら近寄ってきた、その神様が大物主神です。大和の三諸山(三輪山)にお祀りされた神様で、後に 和光同塵(わこうどうじん)の御神意をもって讃岐国の金刀比羅宮(本宮)に顕現されました。『日本書紀』では大国主神の異称として、『古事記』では大国主神の和魂として記されています。
→今月は大神神社⛩️さんへ‼️
やはり、繋がっているね✨✨✨
※ちなみに、和合同塵とは?
→すぐれた知識や才能、徳などを隠して、俗世間の人々の間で暮らすこと。 仏教では、菩薩が衆生しゅじょうを救うために、姿を変えて、現世に現れること。 「和光」は、才知の光を和らげること。
相殿神
崇徳天皇✨
崇徳天皇は鳥羽天皇の皇子で、保安四年(1123年)に第75代の天皇として即位され、永治元年(1141年)に上皇となられました。
保元の乱の厄により讃岐国へ遷られ、その後も讃岐国で過ごされた崇徳天皇は、象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮(本宮)を日夜崇敬なさっていました。長寛二年(1164年)に崩御される前年には参籠し、荒行をなされたと伝えられております。
46歳で崩御された翌年の永万元年(1165年)、その不遇な生涯と崇敬の篤さを偲び、金刀比羅宮(本宮)の相殿にお祀りされることとなりました。
して。
ありがたく参列させていただいたなかで
今回、気になったのが、以下の3点。
1️⃣ 大太鼓の音
2️⃣ 浦安の舞の鈴
3️⃣ 来賓の方々の所作
詳しくは割愛するのやけど、
ちろっと2️⃣についてだけ補足を。。。
通常、巫女舞で使われる鈴って
以下⬇️のような感じだと思うけど。。。
神楽鈴
今回、虎ノ門金刀比羅宮さんで拝見したのは
鉾鈴✨
⬇️ 多分、こんなような形状やったと思います。
これがまた、めっちゃ気になって。。。
後から調べてみたら、、、
なんと‼️
以下のような説明がありました😲
鉾鈴は先が剣の形になっており、鍔部分に8個の鈴が付けられています。
鉾鈴は三種の神器を表しているとされていますが、
部位によって模している神器は異なります。
剣の部分:草薙の剣
鍔の部分:八咫鏡
鈴の部分:八尺瓊勾玉
なんとも。。。
個人的にタイムリー過ぎて、鳥肌が💧
で。
さらに、さらに。
こちらの
「万歳」の文字が描かれた「万歳旛」✨
そして
「金刀比羅宮」の錦旛(ばん)✨
「万歳旛」には、
鮎と壺が描かれていますね✨✨✨
こちらは日本書紀での神武天皇のエピソードが
表現されているようです🙏
神武天皇が現在の奈良県の丹生川で、占いをします。天香具山の土で「厳瓮(いつへ)」という壺を作り、「この壺を川に沈め、大小の魚が川面に浮かんでくれば、この国を統治できる」と宣言したところ、見事にアユが浮かび上がってきたのです。ツボには酒が入っていたので、魚が酔っ払ったということです。
(詳しくは、こちらをご参照⬇️)
いやぁ。。。
まさかの奈良行きの前に
またまたいろんな情報がやってきとるわ
というのも
たまたま、最近気になっていたのが
寿詞(よごと)。
※「よごと」(寿詞・賀詞・吉言)
=「天皇の治世の長久・繁栄を寿(ことほ)ぎ祝って奏上する詞。賀辞。」
(持統天皇の御代に遡るようです)
しきしまの大和の国は
言霊の幸わう国ぞ
ま幸くありこそ
日本の国に
時代を超えて在るもの。
その中心となるものに
あらためて向き合うような感覚になります。
来年も参加させていただきたいです🙏
大祭式を終え、境内社へご挨拶です^^
喜代住稲荷神社✨
結神社✨
大祭のタイミングで、
本当にお喜びの様子に感じます🙏
やっぱり、ピン‼️と来るときはくるもんやね^^
てなワケで
2023虎ノ門金刀比羅宮
大祭ねえさんぽ👣
これにて👏
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために