【六波羅蜜寺ねえさんぽ②源平両氏の史蹟から想う。さらに御朱印ね^^】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

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神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

おはようございます!




@Rico です。




やっとこ、京都2日目の前半のラスト‼️


☑️ 京都①日目は、伏見稲荷さん

☑️ 京都②日目は、八坂神社さんから

 清水寺さん→六道珍皇寺さん→六波羅蜜寺さん



ってなワケで



六波羅蜜寺さん✨の続きです^^




六波羅蜜寺さんは


0️⃣ 空也上人、開山のお寺

1️⃣ 都七福神の一、福寿弁財天さま

2️⃣ 源平両氏の中心史蹟

3️⃣ 西国三十三所霊場


ということがあり、



0️⃣と1️⃣ をシリーズ①でご紹介しましたね^^





さらに、弁天さまのいらっしゃるお堂の

並びには


六波羅堂と書かれた

仏頭がありますよびっくり




お地蔵さまのお山🙏





そもそも、


平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた

平清盛ら平家一門の屋敷が営まれており、

またのちに

鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのも

この付近とされます。


※六波羅探題→鎌倉幕府の一機関で、

 鎌倉の北条義時の耳目となって

 京都とその周辺の動静を監視すること。

→これは、鎌倉幕府滅亡まで続きますキョロキョロ




平家の栄華を見届けた地。

さらに

平家滅亡後、この地の再建に寄与したのが

源頼朝公。。。





時代の流れとともに

その役割を変えて存在してきた場所に



こちら⬇️


平清盛公之塚



阿古屋塚



阿古屋の菩提を弔うためのお塚。

阿古屋とは、

悪七兵衛と呼ばれた平景清の思い人。


平家の残党を探す畠山重忠は、阿古屋を捕らえ、

詮議のために琴・三味線・胡弓を弾かせた

(阿古屋の琴責め)。

しかし、その音色に一点の乱れもなかったこと

から、重忠は「阿古屋は景清の所在を知らない」

として釈放したという。



※平景清については、こちら↓が分かりやすい




こちらの塚に隣接して


十一面観世音菩薩さま

一願石✨




🙏🙏🙏




して。



いよいよ、本堂へ🏃‍♀️



まずは、

手前からご挨拶です✨







ご本尊

十一面観世音菩薩さま

→秘仏のため通常はお厨子にて拝します🙏


※12年に一度、辰年に御開帳されるのですねびっくり




前回の御開帳のときには、

「淵龍えんりゅうと書かれた

御札を授かることができたそうな。。。



→淵龍❓と気になって調べてみたら


 六波羅蜜寺の前の池にいた暴れ者の龍を

 空也上人が改心させ、その後、人を守るいい龍に

 なったことに由来する、のだそうな‼️

(このお札、5色あるそうですよ。五龍なんですかね🤔)




本堂内の参拝🙏🙏🙏



お堂内は本当にしっかりと

なにかに守られているような雰囲気がして、

どっしりとしたなかで

手を合わせ、時代の移り変わりのなか

さまざまな想いをされた方々への感謝を

お伝えいたします🙏



ほのかに香るお香と

お堂のなかの優しげな感覚が印象に残ります。




六波羅蜜寺さんは

西国三十三所霊場でもあり、

神仏霊場巡礼の場所でもあるので


御朱印を授かりますよ✨✨✨



(神仏霊場の御朱印⬇️)





名前にもある

六波羅✨



鴨川東岸の五条から七条にかけて広がる一帯が

六波羅と呼ばれていて、


六波羅蜜寺周辺には、六波羅第と呼ばれる

一門の屋敷が数千の規模で建ち並び、

軍事拠点としても発展したといわれます。


一門の権威を最高潮に高めた

清盛の娘・徳子(後の建礼門院)の皇子

(後の安徳天皇)もここ六波羅で誕生した。




(建礼門院さまには大原の寂光院さん⬇️で

 ご挨拶しとりますね✨✨✨)







さらに六波羅のすぐ南には

後白河法皇の離宮「法住寺殿」が営まれ、

敷地内には清盛が法皇のために寄進した

「三十三間堂」が建立された。。。



→次の京都は、三十三間堂にも

 うかがいたい‼️





ってなワケで、


まさかのシリーズ③へグラサン






では。





いつも、ありがとう^^






@Rico 




幸せは自分のために

世界が平和であるために