こんばんは!
@Ricoです。
いよいよ、初吉野の初奥千本エリアへ✨
テクテク👣していって
到着したのが、こちら⬇️
修行門✨
めっちゃ、
先が長そうだよね💧💧💧
手前にあった案内版をみると
金峯神社さん✨まで
ちゃんと真っ直ぐに進んだら
到着するみたいなや
修行門の入り口⬇️
さて、いざ参りますよ^^
テクテク👣
テクテク👣
めっちゃ地味に登り坂なんで
結構な感じでハァハァしながら
先に進みますぞ❗️
以前にこちら⬇️でご紹介したように
このあたり一帯は
大峯奥駈道といわれていて、
この道自体が道場であり、霊場となっています。
また、
大峯奥駈道やその周辺は「靡八丁」と称して
道の左右400メートルは
修験教団や周辺住民によって厳しく管理されており
また絶壁が各所に見られ、奇勝奇岩の風観が
良好に保存されている場所となっています。
こういう自然を次世代に残していくことも
大事なんやと思います🙏
・
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・
てなワケで、
この自然の景観をどうぞーーー‼️
思いっきり深呼吸やねー^^
さらには、
この大峯奥駈道の全容をみると。。。
懐かしの熊野の旅。
そして、
高野山の小辺路へ続いていくのですよ^^
して、
まだまだ上っていきますよ^^
テクテク👣
テクテク👣
なんか、見えてきたよ👀
こちらをしばらくすると
右に休憩所のような建物があって、
そちらには
役行者さま✨
一礼🙏しまして、
さらに
その先には
金峯神社さん✨
御祭神
金山彦命かなやまびこのみこと
(金山毘古神)
金峯というのは、この辺りから大峯山へかけての
総称とされており、古来地下に黄金の鉱脈があると
信じられていたそうな。
それゆえに、仏教説話では
金峯山は黄金浄土とされる話があるのですね^^
さらに
調べてみると、、、
以下のとおりなんやけど、
めっちゃ興味深かったのが、
イザナギ、イザナミから「生める」という表現
ではなく
「成れる」として物から成ったとされる説がある
というコト❗️
つまりは、
鉱石が火の力によって
金属になることの表現とする
説がある。
なんやら
変化変容を表すような感じがして
めっちゃ興味深いのよね
(詳しくはこちら⬇️)
して、
お参りさせていただきます🙏
こちらの奥に見える
階段が気になって仕方ないぞ
(上っていかないとアカンやろ、と感じる。。。)
周りを見渡しても
奥に行ける場所はないので、
きっとあの上はお山の神さまが
いらっしゃるのやろなぁ、、、と勝手に想像。
で、
脇をみると、
まだ道がみえていて
もちろん、行きますよ^^
テクテク👣
テクテク👣
この景色が、幻想的過ぎるよね。。。
見えてきたのが、こちら⬇️
義経の隠れ塔✨
この塔に義経が隠れ
追ってから逃れるために屋根を蹴破って
外に出たとされる場所です。
さらには、
こちらの隠れ塔は大峯修行場のひとつに
なっていて
この真っ暗な塔のなかで
神官の先導に従って
吉野なる深山の奥の隠れ塔
本来空のすみかなり
と唱えながら境内を巡るのです🙏
これが
空のすみか✨なんやろか。。。
てなワケで、
さらに先に向かいますぞ‼️
と、その前に
御朱印✨
で、
この先に向かう行き方を
こちらの御朱印を書いてくださった方に
うかがいます^^
すると。。。
(紅葉🍁を見にきたのやと思われたみたいで)
西行庵のあたりは、
まだ赤チンじゃないんやろか❓と。
そこに地図があるけど、
ちょっと聞いたるわ❗️
と
ちょうど、西行庵から戻ってこられた方に
紅葉🍁の様子を確認してくださり、
高城山の展望台とか、
花矢倉のあたりのほうがキレイちがうんかな?
といろいろ教えてくださいます🙏
(ちなみに地図ってのがこちら⬇️)
ちょうど雨のあとやから
ぬかるんでて登るのは大変ちゃうかなぁ。。。
と。
むむむ🤔
まだ、
金峯山寺さんにもゆっくりお参りしてないし
ほかにもうかがいたいところはあるし
この地図をみると
だいぶ歩くし時間がかかるよね💧
(この時点で、10時15分)
ここで、山道奥まで
行って修行はしなくていいやんね😎
てなワケで
西行庵は取り止め❗️
さらに
そのオッちゃんが推しで言っていたのが
高城山展望台。
(↑閼伽井不動明王さまの近くの場所ね^^)
こっちから行くとしたら上っていったらいいとか、
下りる場所は先にあるとか
めっちゃコト細かに教えてくださいます🙏
・
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・
これって
絶対にこの展望台に行け‼️って
お告げみたいなもんだよね⁉️
と捉えたので、
さっきは展望台の階段を覗いただけやったけど
(この写真の場所⬇️)
展望台の上は
もっと紅葉🍁が素晴らしいんやろね✨
と
来た道を戻っていきますよ^^
して、
このオッちゃんの言葉が
ウソみたいな本当のお告げやった‼️と
後から知ることになるのです。
まだまだ続きます。
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために