こんばんは!
@Ricoです。
なかなか、
最近にしては珍しく
長編になってきた
W久伊豆神社ねえさんぽ⛩
続いては、
拝殿の裏手側へ向かっていきますよー🏃♀️
(境内全体図はこちら↓)
テクテク👣
テクテク👣
どうやら、最初に目に入って
先に参拝させていただいたのがこちら⬇️
HPによれば、
旧官幣大社南洋神社鎮座跡地 遥拝殿
(きゅうかんぺいたいしゃなんようじんじゃ
ちんざあとち ようはいでん)
南洋神社は、南洋群島の中心地パラオ
(現パラオ共和国のコロール島)に
昭和15年2月11日、皇紀2600年に際して、
昭和天皇の格別の思し召しにより創立された
神社です。
その御祭神を「皇祖天照大神」一座とする
官幣大社であり、我々神社人が「本宗」と仰ぐ
伊勢の神宮の「南洋における分社」ともいうべき
神社です。
その後、昭和20年8月の終戦によって、
御社殿は御焚き上げとなり、神社の祭祀は終結、
社殿跡地が残るのみとなりました。
しかし、創立以来、南洋の地で開拓・入植に
励んだ方々が、また戦時下、アジアの解放と
大東亜共栄圏の実現を信じて、遥か遠く
故郷を離れて南方の戦地へと赴いた部隊・兵士たちが
篤い祈りと誓いを捧げられた事実は
永遠に消滅するものではありません。
伊勢の神宮と旧南洋神社との御神縁・御神慮を拝し、
神宮当局の御指導・御協力を賜って
平成16年4月11日久伊豆神社境内に
「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」を
建立いたしました。この遥拝殿は、氏子・崇敬者
共々遥かに、幾多の兵士の最期の祈りと誓いを
お受けになった大神様の御霊を和め、
遠く故国を離れた南洋の地に散華された英霊への
感謝と慰霊・鎮魂、功績顕彰の誠を致す御殿です。
とあります🙏
(⬇️こちらの4に詳しくあります)
日本を支えていただいていた方々、
そして
世界の平和を真に望んでいたであろう
その果てしなく深い想いと悔しさ
さまざまな想いが交錯するなかで
こういう過去を過去として忘れることなく
先人の想いの連なりが
今の時代へと繋がっていくよう
真に世界平和✨を祈りたいと
あらためて思いました。
大分、この場所で
手を合わさせていただき
遠く遠くまで、感謝の想いが届きますよう🙏
して、
手前に戻って
天岩戸の図✨
こちらは、
江戸時代後期の国学者
平田篤胤大人の奉納によるもの。
向かって左側に
天手力男神✨
向かって右側に
天宇受賣命✨
そして、中央には天照大御神✨のまばゆい光✨
この図が奉納されたということは
平田篤胤大人と越谷というのは
かなり深い縁があったのでしょうね。。。
てなワケで
かなりふむふむ🤔ポイント満載
になってきとるよ。
して、
こちらの⬇️入り口の案内にあった
五前神社さん⛩は?というと
こーーーんな感じで
五前神社には
久久能遅神くくのちのかみ(木)
軻遇突智神かぐづちのかみ(火)
埴安神はにやすのかみ(土)
金山彦神かなやまひこのかみ(金)
罔象女神みづはのめのかみ(水)
が祀られ、
それが陰陽五行思想と習合して、
男女吉凶相性を守護し、
また建築土木の安全を守護する神として
古来信仰・尊崇されてきたそうな。
二月の星祭(節分)の前後には
厄除や方位除を本社に祈願すると共に、
この五前神社にも多数の人々が参詣し、
祈願をなさるのですね✨
なるほど‼️
星祭にも関係してきとるのや
ちなみに、
こちらの五前神社さんそれぞれに
色の異なる幣帛がありました🙏
・
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・
さらに、さらに
越谷久伊豆神社さんには
境内摂末社が12✨あって
そのうち本殿後方に7社✨
・稲荷神社 ・諏訪神社 ・五前神社 ・天満宮 ・三峯神社 ・御嶽神社 ・八坂神社
こんな感じで
それぞれお参りさせていただきます🙏
いやぁ。。。
お参りポイントがたくさんやね😆
で、
今回のミッションは
何十年もお世話さまになっている
御礼をすること。
ただのお参りではない‼️よね
てなワケで、
やっぱり御祈祷✨を。
そして
神恩感謝をお伝えしなくては。。。
して、
じゃん❗️
整いましたぞ‼️
てなワケで
御祈祷で起こったいろいろに続きます🙏
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために