【只(ただ)、今(いま)→ただいま⁉️】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

こんにちは!




@Rico です。




いやはや、寝坊したさ爆笑

ま、そういうときもあるよね^^






昨日、少し気になったこと。


只(ただ)、今(いま)、
ここにいる。




この⬆️ ただいま、ってヤツニヤリ





「ただいま」、というのは
「真実に帰る」ことへの宣言



つまりは、
目の前になんらかの場があるから


「ただいま」

と宣言するのであって


そこでは
大切な人が登場している目の前の場に対して



自分が

「なにかしたい」
「なにかできることはないか」

そう素直に思っていることがあるのだろう。


(場がなにか求めているものに
 素直に応えていく、ということ、という
 場合もあるやろね)





それまでの自分が作り出していた印象や幻想

それが一切ない
観念が消えた透明な場所




それが「いま」




(宇宙のスカイダイビング❗️)
めっちゃ気持ち良さそうwww


(画像はネットからお借り)






普段、いろいろな決めつけや概念に塗れて
先入観をもってしまうけれど

ひとは瞬間瞬間で変化しているワケで
そのときの「そのひと」がその時点での真実




発する波動の動きですら、
毎瞬新たに起こっている



なにひとつ、過去から変わらないものはない







耳にしたことがある言葉

「一期一会」







一期一会とは、

一期は仏教の言葉で、
人間が生まれてから死ぬまでのこと

一期一会とは、
一生に一度だけ、生涯に一度限りという意味ですね




「人と人との出会いは一度限りの大切なもの」
という意味で使われたり、

「生涯に一回しかないと考えて専念する」
という意味で使われています。






しかし、
本来の意味はどういうことなのだろう・・・





すべてのことが「いっかいきり」であり
すべてのことは「あたらしいもの」である

変わらないものは何もない






だから、
すべて目に見えるものを新鮮なものとして
初めてのものだと感じて対峙することが
大切なんやろな、と思うのだよね。



記憶というものを持ち運んでしまうがために
新鮮に味わう経験を失いがちになってしまう



「一期一会をいきる」



記憶を持ち運ばない、ということは
過去の罪悪感とか後悔とかをも
持ち運ばないこととなる。





いま起きていることだけが真実であり
間違いというものはない




「どのような人生をいきていくか」

それすらも
それはまったく白紙の状態でもあるのだけど
思考が作り出しているに過ぎない




感情ということが
その場で消えて、その場で新たに生まれるワケで
感情が生まれるその瞬間ですら、
変わらないものはなく新たな生成が発生している



いまをいきる

こころを込めていきる





ちなみに

「只今」とは、禅の言葉では「しこん」といい

「いまはいましかなく、自分は自分でしかない」
ということ。





こういう禅の向き合い方に触れ
新たなこころを感じた瞬間でした。






自らの宇宙は
自らのものでしかない。







では。





いつも、ありがとう^^







@Rico 


幸せは自分のために

世界が平和であるために