5月17日、父が他界し一年が経ちました。
去年2月、末期癌でホスピスに入った父は、『死ぬことがわかっている。がんばってと言わないでくれ』、と言いました。
私に何が出来るのか
沢山沢山考えたけれど
結局は何も出来ない、何も出来なかった。
やっぱり最後まで『がんばって』って言うことしか出来なかった。
父は、立派な父じゃなかった。
博打が大好きで、酒乱で、勝手。
20歳で結婚した父、母がくも膜下出血で急死する7年前までは、ずっと全部母任せ、何もしない人だった。
私もそんな父と深く接することがなく、
母の亡くなった後、初めて一緒にデパートへ行った時、父がエレベータのボタンをどう押すのかさえ知らなくて、びっくりした。
その後5年間は、父の癌の自宅治療もあって、一緒に多くの時間を過ごした。
性格も価値も私と似ていたからか、話しても喧嘩しても、最後は一緒に笑えた。
周りが言うほど私にとってはひどい父ではなかった。
優しくて、強くて弱い父だった。
家族だった。
2年前、父の癌は完治と言われ、私は安心して結婚、イタリアへ来た。
Toscaが産まれるのと同時期に、父の癌は再発。
たった2ヶ月で全身転移、末期癌の診断でホスピスへ入った。
私が生後間もないToscaと日本へ急遽帰国した時、父は前と変わらなかった。
ホスピスから博打へ通い、看護婦さんへわがままを言ってた。
Toscaに粉ミルクもあげてくれた。
ただ、日に日に何かが迫る感じがした。
いつもみたいにいろんな話をした。
けれど、わからないけど、重くて取り払えない透明なものが私と父の間にある気がした。
たった一度だけ『死ぬのは怖い。
生きたい。』って
鎮痛剤はどんどん効かなくなり、強いものになってく。
父は渋い顔で『ちょっとイテえんだよ』って言う。
たぶんちょっとどころじゃない。
私達はToscaのビザと予防接種(イタリアで義務)の為、一旦イタリアへ戻らなければならなかった。
イタリアから毎日電話した。
『がんばって』って言うと、私達が日本へ来るのを『待ってる』って言った。
日本へ再帰国した時、
父にはもうToscaを抱っこする力はなかった。
細くて黒かった。
それでも、私達の前では歩いてトイレへ行き、タバコを吸ってみせた。
私が病室を出る時手をふったら、黙ってうなづいてた。
その翌日深夜、
父の呼吸は弱くなった。
そして、看護婦さんが持ってきた呼吸器を取り付けるのを、父は拒否。
ホスピスは延命治療はしない、患者の希望に沿う。
私がToscaと病室に着くと、
父はとってもとっても疲れきった顔で、
眠ってた。
父は何処へ行ってしまったんだろう
考えても、解らなかった
葬儀や様々なことが終わって、イタリアに戻り、Lucaの顔を見た時、
父は母のところへ行ったんだ
って思った。
一年経っても
父のことが少しでも頭をよぎるだけで、涙は止まらなくなる。
子供がおじいちゃんおばあちゃんと遊んでる姿、
大人が父親や母親と出かける姿、
どんなに頑張っても決して叶わないと思い知る。
今までで唯一の後悔、
両親ともっと触れておけば良かった。
自分でしっかり生きてきた、なんて絶対違った。
私がここでこうして幸せなのは、産まれた時からの両親のぬくもりがあるから。
だから、自分が成長してからは、私から両親へ、もっともっと近づいて接すれば良かった。
父にも母にも、もう暖かさや感謝を、伝えられないことが
本当に悲しくて、痛い。
父に教えてもらったこと
誇りを保ちなさい。
自分を守る為の嘘をつかない。
心から欲しいものを選んで、それを必ず手に入れる。
うん、頑張る
父と母に、私は幸せをいっぱいもらってる。
こんなに恵まれた人生を。
父が、亡くなる前、言ってた。
明子は赤ちゃんの時から、起きてすぐに笑った、
いつも笑ってたよ。
うん、笑う