9月21日は 月曜日でした。娘は仕事で朝から出て行ってしまった。


お天気も良さそうなので 遠出をしようと前日から予定をしておりました。


ここコンコードはボストンから バス観光ツアーが出ていますが、80ドルくらいするので 自分で電車で行くことにしました。コミュータレイルなら約50分で着いてしまうし、たった片道6ドルちょと。本当にしずかな 郊外の町です。


ここは なんで有名かはてなマークというと、アメリカが植民地だったころ、手裏剣武器弾薬の保管基地で また独立戦争が始まるきっかけの事件が起こった場所があるから。また 19世紀になると 沢山の本文学者たちがここにすんでいたからなのです。

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コンコードってどこかできいたことあるなあと思ったら ぶどうコンコード葡萄、ってあるでしょ。あれです。



電車の駅はたいてい 街の中心から離れていて ダウンタウンまで こんな綺麗な家が並ぶ道を約20分くらい歩きました。北米らしい住宅がえんえんと続きます。

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こんな家にすんだら 一生の望みの半分くらい叶った気がするなあ。


なんて思いながらも 路をとぼとぼ歩く人はいなくて、(みんな 車で)、ちょっと 惨めな気もしながら 、お天気は最高晴れ

駅から 街の中心部まで20分くらい そこから さらに20分くらい、 歩く歩く走る人


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やっと ついたのは オーチャードハウス。ルイザ・メイ・オルコットが あの「若草物語 (Little Women)」を執筆した家なのです。

1868年、 日本では 明治維新の頃でした。当時は リンゴりんご畑に囲まれ オーチャードハウスと呼ばれたそうです。


女の子は 誰でも 大好きな 若草物語。(なかなか 良い邦題ですよね)

私も 何度も読んだし、映画もみた。ただ時代が 江戸時代末期の話と思うと、 ちょっとびっくり。




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この中は 撮影禁止でしたが、ツアーで各部屋を説明してもらえるのです。

2階の ルイザが若草物語をかいたメモデスクは 窓に面した棚板のような ちいさな 半円のものでした。本当にこんな小さなスペースで書き物をしたのかしらと つましい生活が伝わってきました。


説明をしてくれるおば様の言葉の中に アーカッドさんなる名前が頻出。しばらくして それが「Alcott(オルコット)」だと気がつきました。おいおい オルコットと日本語でしっかり刷り込まれた私には 正しい発音ではなかなかわからなかったのです。むっ


部屋を移動するとき「あなた 私の説明わかる?」ときかれ ちょい謙遜して「まあ半分くらいは」と答えると、「あら じゃあもっとゆっくり話すから なんでも質問してね」といわれた。本当に親切だ。OK


哲学者で 理想家の父は つまり 生活能力はなく 母が家計を支えていたから 家族は困窮をきわめていた。

南北戦争で看護婦として従軍、帰ってきてから闘病生活、36歳で あの「若草物語クローバー」を発表。ベストセラーになり 彼女は一家の生活を支え 一生独身で通した。ちょっと かわいそうね。小説の中の ジョーそのものの 一生だったのだです。


「まあ J・k・ローリングみたいなものね、急に大金持ちお金になったのです」とおば様が説明すると 横の二人が「?何?」「ほら、ハリーポッターの作者よ」と ・・・な会話をしていて 英語がわかっても 常識ないと同じか、とおかしくなった。


見学はとても楽しいものでしたが、 家屋は老朽化でかなりヤバイ状態で、ご寄付を募っていました。

お心のあるかたは よろしくお願いいたします。がま口財布