こんにちは 

セラピスト・スタイリストの晶子ですおねがい飛び出すハート

 

 

更新がかなり遅くなり、大変申し訳ありませんでした🙇‍♀️

 

大学生時代パート③は、

「フィリピン留学の1年間」についてお話しますニコニコ

案の定、長くなってしまい、

大学生時代はパート④まで続きます😣

 

前半と後半で、過ごし方が違いました。

前半は「大学生活」に慣れる時期でした。

後半は、大学の授業に加え、

インターンシップ」を始め、

夢中になって取り組んでいた時期でした。

 

 

今回は、前半の「大学生活編」です。

初の海外生活や大学の授業と

挑戦の連続でした。

そして、交友関係を広げていた時期でしたおやすみ

 

この期間の気づきを一言で振り返ると、

「国際機関で働きたいという夢を

静かに諦めた時期」でした。

現地の方と、社会文化背景を理解し

深いコミュニケーションをとる

難しさを感じました。

得意とは言えない語学に対して、

実力のなさを思い知ったのです悲しい




さて留学の始めの頃に話を戻します。

2009年、マニラの近くケソン市にる

フィリピン大学ディリマン校に留学しました。

 


↑敷地が広いのジープニーという乗合バスが校内を走っていました。


振り返ると早々トラブルがありました。

寮に入る予定でしたが、

なぜか手続きが進んでおらず、

到着早々、住まいなし状態ポーンでした❗️

最初の2週間くらい、大学職員の方の

お宅に、下宿を急遽することになりました無気力

結果的にフィリピンの家庭生活を経験できて、

今となっては良い思い出ですにっこり💕

 

寮は、築何年なのでしょう。40年?50年?

かなり古めで、水シャワーしか出ませんでしたが、

年中暑いのであまり気にしてませんでした☺️

 




部屋は三人部屋で

日本人と韓国人のルームメイト。

家族以外の人との生活初めてでしたが、

仲良くしてもらい、

一年近くいれば、

自分のことで葛藤があったり、

気持ちの上がり下がりもありましたが、

お互い励まし合ったり、

楽しい生活でしたおねがい


 

寮には、日本と韓国の留学生が

15人ずついたので、この2カ国は、

マジョリティーでした。

他にも東南アジア、アフリカ、

東アジア、ヨーロッパからも留学生が

住んでいました。

共有スペースにソファがおいてあり、

交流したい時は、そこで過ごし、

色々な国の留学生と話すことが好きでしたニコニコ

60~80人くらい暮らしていたかもしれません

(記憶が曖昧)


 

大学の授業ですが、

もともと受けたかった授業である、

地域開発(Community Development)と

ソーシャルワークの授業と他には、  

英語のやヨガの授業を受けました。

 

公用語は、タガログ語とフィリピン語。

教授はもちろん、クラスメイトも

皆優秀で英語も流暢でした。

 




最初は、授業が全然わからず、凹んでいましたが、

地域開発やソーシャルワークを学ぶ学生は、

留学生に優しく、噛み砕いて説明してくれたり、

教授がタガログ語で話し始めたら、

隣で通訳をしてくれるなど、

いつも親切でフレンドリーで、

優しく助けてくれました赤ちゃんぴえん

 


地域開発の授業では、

農村や漁村に日帰りや1泊2日で訪問して、

地域に住む方々と話し、

貧困地域の生活改善の政策を考えていく

ことなどしていました。

数名の住民の方の話を

クラスメイトと聞いていた時

泣きながら話されている方もいましたが、

タガログ語で理解できず、

クラスメイトに大まかに後で聞く程度で、

理解できていませんでした。

(このように説明が曖昧なのは、

全然理解できていなかったから赤ちゃん泣き

写真を見て、記憶あるのですが、

タガログ語はもちろん、英語でも

コミュニケーションが十分取れず、

訪問理由を正しく

私は理解できていませんでした悲しい

 



パイナップル農家の方に訪問したり、牛と出会ったり

 ↑川を渡ったり、漁村を訪問し、お話を伺いました


ソーシャルワークの授業についても、

福祉施設の訪問など

大学の外に行くことも多かったです。

座学では、

ソーシャルワーカーの信条、役割、責任など

職業として確立していく歴史など知り

事例を通じて学んでいきました。

 

(↑ 上: ソーシャルワークの授業のクラスメイトと。
下: 素敵な教授。この写真は帰国前に寮で留学生仲間数名と感謝を伝えるパーティーを開いた時に、教授も来てくださり嬉しかった様子)

ロールプレイとして、面談の練習をしました。

クライアントの可能性を信じるという信念、

真摯に向き合う姿がすごく素敵で、

ソーシャルワーカーになりたい

という気持ちが徐々に湧いてきましたおねがい

 

 

半年程過ぎる頃、

言葉や文化背景がわからない。

自分の非力さを感じていました。   

タガログ語は家庭教師の方に

寮まで来ていただき習いましたが、

日常会話で精一杯でした赤ちゃんぴえん

 



もちろんこれは、

知ろう、理解しようと努力し続け、

時間をかけていけば、

わかる時がくるかもしれない。

 

語学を習得するには相当の努力が必要です。

私の場合、語学を習得する月日だけかかり、

本来行いたい地域開発やソーシャルワークの

仕事をするには力不足すぎると感じたのです。

静かに国際協力の道を諦めたのです悲しい




次回は

後半は、「インターンシップ編」です。

徐々に生活にも慣れてきたため、

大学の授業に加え、

インターンシップを始めましたクローバー

素敵な日本人の女性と出逢い、

社会的な事業を行う会社の

立ち上げをインターンとして

お手伝いさせていただきました。

お手伝いというよりも、 

かなり学ばせていただきましたおねがい


インターンシップを主に

次回はお話いたします😌🌿🌿


最後まで、

お読みいただきありがとうございました🙇🌿