こんにちは

 

セラピスト・スタイリストの晶子ですおねがい飛び出すハート

 

 

今回は、大学生時代パート②でございます💓

月曜更新が間に合わず、ごめんなさい赤ちゃん泣き

 

前回は大学1年~2年までを振り返り、

大学の勉強、

他大学の準公式野球部のマネジャー、

薬局のアルバイト、

といっぱいいっぱいの生活を送っていました。

 

その時に気づけた自分の"作り笑顔の癖"について、

↓こちらの記事で書いております😌

 

 

 

 

作り笑顔をやめてから、

心と態度が一致するようになり、

次第に、自分の感情に気づけるようになりました。

 


さて、今回の話では少し遡りまして、

大学1年生の後半から始まります!

大学1年の後半にもなると、

私が所属できる選択肢は、

「テニスサークル」か「野球部のマネジャー」の

二択しかない、と思い込んでいた私でしたが、

他の活動もあることを

次第に知っていきますニヤニヤ(遅い)

 


そこで興味を持ったのは

海外でのボランティア活動です!

 


大学の掲示板で見たチラシで、

あるNPOの活動を知り、説明会に参加し、

世界各国で活動があること知りました立ち上がる

アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、

オセアニアなどなど、あらゆる場所地球

環境、教育、農業、文化保全などテーマにした

ボランティアプログラムがありましたにっこりスター

 

具体的にいうと、

世界中から集まった約10名の参加者が

寝食を共にし、

ボランティア活動をするというものです。

”ワークキャンプ”と呼んでいました。

 

海外への憧れと、世界を見てみたいという願望、

世界の貧富の格差や平和ではない状況を知り、

"途上国"と呼ばれる国や地域に行き、

実際に自分の目で見てみたいという気持ちが

強くなっていた私は、

ワークキャンプに行きたい!と、

ワクワクしていましたおねがい

私にとって魅力的だったのは、

ボランティア活動であるため、

滞在中の宿代、食費がかからないので、

航空券だけ用意できれば、

海外に行けることが魅力的でした😊

 

大学1年生の冬休みに

モンゴルに2週間行きました爆笑



 

首都のウランバートルにある

児童養護施設の子どもたちに

英語を教えるプログラムに参加しました😊


なぜモンゴルにしたかというと

両親が賛成してくれたからです。

 

まず私が興味を持ったのは、

インドでしたが、まだ海外2回目で、

一人で参加するのは危険ではないか

心配されました。

次は、インドネシアでしたが、

こちらも心配とのこと。

 

モンゴルのプログラムは、

日本とモンゴルのメンバー参加のみで、

両親にとって、モンゴルは近い国で、

モンゴル出身のお相撲さんをよく見ていたので、

(そんな理由?!)モンゴルなら、

と賛成されましたニコニコ

 

私自身、海外に行けるならうれしい!

これからたくさんの国に行くだろうから、

まずは両親には賛成してもらいながら

行きたいと思い、

モンゴルに行きました😊スター

 

2月のモンゴルは、気温が-10~15℃で、

激寒でしたニヤニヤ❄️

 

初めてアウトドアグッズ専門店に行き、

雪山用のダウンやインナーを購入しました。

防寒対策に強くなりましたウインク

 

日本人4名とモンゴル人2名の

大学生のメンバーで、

毎日、児童養護施設に通い、

英語を教えるという名目でしたが、

ひたすら遊ぶことが多かったです。



モンゴル相撲を挑んでくる小学生と

取っ組み合いをしたりゲッソリ

中学生くらいの女の子とおしゃべりしたり、

楽しかった記憶があります。

 





2週間の内、2日間くらいは田舎の方に行き、

ゲルに泊まらせてもらったり、


馬に乗ったり、



夜空は星がきれいで🌟

貴重な経験をさせてもらいましたニコニコ




 

このワークキャンプで、

モンゴルという経済格差がある国

(日本もありますが)に実際に行き、

児童養護施設に通い、

事情があり家族と暮らせない子供たち、

心に傷を負った子もおり、

自分が無力に感じました。

自分は何ができるだろう、と考えながらも、

すぐには答えは出ずにいました。



↑私眉毛細い滝汗

 

これらの他に、

海外でのボランティア経験で感じた事は、

仲間と共に同じ目標に向かうことが

楽しいということを知りましたニコニコ

日本人のメンバー、

海外のメンバーとともに

共有できた時間が刺激的でした。

 

その後、

大学2年生は、

熊本県水俣市での環境保全のボランティア活動、

大学3年生は、

北海道稚内市での植林のボランティア活動を、

ホスト国のサブリーダーやリーダーとして、

海外の参加者をまとめる役割も経験しました。

 

リーダーをした北海道の活動では、

フランス、オーストリア、

ドイツからの参加者がいて、

稚内の地域の方々との間で通訳をしたり、

そもそもリーダー経験ない私にとっては、

すべてが挑戦でしたが、良い思い出ですおやすみ

 

 

さて、

国際機関で働きたい夢は引き続き持ちつつ、

貧困問題について、

自分は何ができるか、

どんな仕事があるのかと考え、

探し続けていました。


そのような中、

JICA等、国際協力の仕事をしている大学の

OGの方に3名ほど会う機会があり、

皆、”フィリピン大学に留学していた”と

いう共通点があることを知りました。


フィリピン大学は、

フィリピン最高峰の国立大学。

日本でいう、東京大学。

そこで、

Community Development(地域開発)

という授業を受けていました。

 

「フィリピン大学に行けば、

道は開けるかも!」と感じました!

 

大学3年生の夏に、

フィリピンにスタディーツアー

(貧困地域で教育支援、女性支援をする

NPOに訪問するなど勉強目的のツアー)に

参加し、フィリピン・マニラの雰囲気を

下見しました。

肌に合いそうだ!と感じ、

留学しようと決めました。

 

留学したい想いを両親に伝え、

家族皆から応援してもらいました。

TOEFLという英語の私にとっては

ものすごく難しくて、

長時間(4時間?)試験を何度も受けゲッソリ

なんとか合格点に達し、

願書を出し、無事受け入れが決まりましたデレデレ


大学の協定校でもあったので、

交換留学生としても行けましたが、

学内選考で落ちてしまい、

私費留学という形での留学でした。

 

大学4年生の時、

一年間休学をしてフィリピン大学へ留学しますびっくりマーク

 


次回「大学生時代③」に続きます歩くラブラブ


最後までお読みくださり、ありがとうございました🙇‍♀️🌟