ごくたまに、占いですか?

と聞かれることがあります。


相手によっては

"まぁそれでも良いですよ"と答えています。


今日はそんなことを書いておきたいと思います。


KADOKAWAから16年毎年出ている師の本

「展望と開運」は占いのコーナーに並びません


内容は占い本とは違う、社会情勢や政治経済に踏み込んだものの見方ができるようになっていて


私たちが生き方に迷わないよう

天地自然界の理を解説されています。


師は日頃から、運勢を説くより思想と文明を描くようにと学問として継承し、私たちに伝えてくれていました。


易自体は占いの書として使われていた説もありますし、九星気学は大衆的に占いの類になり、扱いが浅くなりがちなのですね。


家相や姓名鑑定も占いの類というイメージですよね。


ただ、本来占いというのはうらの成り立ちで、うらなりという言葉が→うらないになっただけのことなんです。


一般的には、人生に起こる裏の成り立ちなんて、普通見ないんですよ。起きた現象や数値、結果が全てだからですね。


実力や自力の努力、人の縁などがここまで導いてくれたと言葉にする事が多いですよね。


そういう意味でも捉え方としては

目に見えていないこと、裏の成り立ちまで

その側面まで見える人が、思想を持っているのではないでしょうかね。




占いが当たっているか、外れているかという

ジャッジをする人は少なそうですが


当たっていれば喜んでいいし

言われたことに、「そうかなぁ?」

など疑問を抱いてもいい

当たってない!と怒ってもいい笑

信じてたのに!とかその通りにならない!とか

そんなことで何になるのよ!とか。


夫婦喧嘩と似てません?

そう言う意味では

"人間と何か"という関係性のものだと

おもうんですよね。



誰にでも当てはまるしと

自分のことだと思えてないか

いかに言葉を受け流して生きているか


かもしれないですね。

そう聞こえる自分を疑ってみても良さそう。


すごく良いことを言われても

"でも"とか

"そうはいっても"とか

疑念を抱く人は普段からこう言う言葉を自分に使っていて、こう言う思想なんですね。


一方で、すごく良いことを言われて

やっぱり!でしょ!と

喜ぶ人も普段からその言葉を使っているし

そういう思想なんです。


後者のように明るい人は

ダメなこととか、やばいことを言われても

やっぱり!でしょ!なんかそんな気がした!

です。 笑


前者、大抵は自分に疑問を抱いているから出る言葉で、ほんとは本心と違う人生を歩んでいると気がついています。自分の周りに起こることが嫌か嬉しいかすら、麻痺してるかもしれません。


諦めがあれば、しょうがないと

決めつけている可能性とありませんかね?


良いって言われてるなら

その良い通りになるように言葉を受け取って

やったらいいんじゃないですかね?


人間の意志の力は強いから

結果をもたらしますし。


例えば、口内炎に注意って書いてあったとして

普段ならない口内炎になれば乗ってる〜!だし

しょっちゅう口内炎になる人は、言われたその時口内炎、もうなってるってこともあるわけで


ただその言葉を「そうだね!」

って受けとれるとしたら


あなたと何かの関係はいい感じです。


思い通りになるか

ならないか

と似てますね


結果を思い通りにできる人は

そうなるし、受け取り上手。


思い通りにできない人は

ならないわけ。



おそらく、鑑定する人が

勉強してるしてないに関わらず

聞いた側がそうだと思えるか。


相手が伝えたものを

受け取る。


これらを総じて

自分の視野にはいってくる出来事は


人は見たいものしか見えない構造だから

あなたが見たかったわけよね。

見たくてみてるわけ



自分の人生を、今よりもう少しだけ

楽しくすると決めたら


もう少し視座を高くしてみると


自分以外の力が働いたとしか思えない

規模の大きな事や、ラッキーなこと

驚くことがあるはずなんですね!


自分の身に起こっていることは

どこからきたかわかり

どこに向かうかぐらいは

決めれるんじゃないですかね?


幅と奥行きが浅い場合

時間軸をプラスして

過去も未来も今も前後しながら

今の刹那を作ってみれる


全ては時のもの

宇宙自然界の摂理で

自然の流れなのです。



久保有規依