新婚旅行は現地集合、現地解散だったよ。 | マルコポーロな生活

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そこはかとなく書き留めますよ。

ふと思い出した。

One Driveの容量がいっぱいです。整理してください。

と朝からPCに急き立てられたことにより、懐かしい写真が出てきたのだ。

 

私の新婚旅行の写真が出てきたのである。

多分、多分あれが新婚旅行。

 

あの頃は、結婚式して4日後に単身赴任してしまった私は、

月に9回から12回くらい海外に仕事で飛んでいた。(飛ぶのが仕事だったので)

そうなると、一か月のうちに、自分が本当にベースとなる家にいることは少なくて

成田、香港、台湾、NY、ボンベイ、ヨハネスブルグ、セブ、名古屋、北京、上海、パリ、ロンドンあたりにいたのだった。

 

新婚旅行なのに、なぜかついでに母も誘った私。

すると、母が弟も誘って一緒に来られるって。という。

これは新婚旅行だったのか、家族旅行だったのか。

目的地はイタリアのローマ。

 

私は、ロサンゼルスから香港戻ってそのまま家帰らずに直接ローマ行くね。

現地で会おう。と、なんというざっくばらんな待ち合わせ方法。

 

旦那と、わが家族はなぜか別便でローマに到着。

私はその1日後にローマに到着予定。

 

 

そのころは携帯さえもまだガラケー。

WIFIがどこにでもあった時代ではなかったので、ローマの指定のホテルについても、

「一体どこでこれ娘の旦那さんに会えるのだろう。」

かなり途方に暮れていたら、ローマの街中で突然、

突然ふいに旦那さんとうちの母がばったり会ったというではないか。

 

 

あれを奇跡と呼ばずに、何を奇跡と呼ぶ?

東京のど真ん中でも、会いたい人が自分の前を横切るなんてことほぼない。

 

 

なのに地球規模で、ローマの今この町のここで、

ホテルでもなく人通りの多い街中で旦那と出くわすことができたという。

 

奇跡。

 

あまりの奇跡に何か目に見えぬ力を感じる!!と母は大喜び。

その次の日、ローマの空港から一人で現地に向かう私。

 

 

ホテルについて、あのー…日本人ってこのホテルに泊まってますか?

名前は…というのですが。

とフロントの方に話していると、弟が後ろを通りかかる。

 

「あ、ねぇちゃん」

 

こんなすごいありがたいタイミングで我々は現地集合した。

 

 

そして、私はローマを見る時間はないので、そのままフィレンツェとベネツィアに移動。

街中を馬車に乗ったり、ジェラート食べたり買い物したり。

 

家族でイタリアを散歩しながら新婚旅行をしたのだった。

20歳初めの頃、留学中だったかベネツィアに来た時、

こんな素敵なところが地球上にあるなんて!と本当に感動して絶対に親を連れてきたいと思っていた。

それをとりあえず新婚旅行で実現した形になった。

 

 

その後、イタリアから母たちは日本に帰り、

我々は二人でロンドンへ移動した。

ロンドン。 懐かしい。 懐かしい学生時代の町。

ここがこう、あそこがこう、と好きな街を練り歩き、

最後に本気でハロッズで銀食器を記念に買って帰ろうと思っていたが、

メッキではない銀食器の値段に腰を抜かしそうになり、

それはあと数十年後の楽しみにとっておくことにして

 

我々はヒースローで旦那とは解散した。私はそのまま香港に戻り、次の日には

バンクーバーへ飛んでいた。

 

あれが今思えば新婚旅行だったのか。

 

なんかそれさえ曖昧な感じになっていたのだが、

老化して記憶を完全に失う前に思い出しておいてよかった。

 

 

あれから十数年たち、今こんなところに生きることになるとは。