そういえば

「独孤伽羅  皇后の願い」(原題:独孤天下)で私は張丹峰さんにはまって、こうやって花千骨に「戻って」見ていて、

約1年後の「独孤皇后 乱世に咲く花」(原題:独孤皇后)では陳暁さんが楊堅を演じていて、

この2作品で私に「推し」ができたわけですが、

 

ふと感じたのです。

陳暁さんって、本当に美しくて、陰がある感じもまた良くて、

ただ、本当に出来る男とか、最初からエリートとか、逆にホンモノの悪役とか、

白にせよ黒にせよ、まっすぐというか、変にクセのある役はあんまり似合わないよなぁと。

(「月に咲く花のごとく」の沈星移がクセがある方だけど、アレもそこまででも無いと思ってしまう...もっと中国国内で色々見ているファンの方がいらっしゃって異論があったらごめんなさい)

 

そういう意味では張丹峰さんは、ちょっとクセのある役というか、一つの色で表せないような複雑な役(まさしく今回の東方彧卿なんかそうですよね)ができるので、

これはこれで貴重な俳優さんだなと思うんです。

もちろん、イケメンじゃないかと言われたら間違いなくイケメンですが。

ただ、最初からできた男で、女性を悲しませないような「カンペキな男」とか、非の打ちどころのないエリート、のような、

いわゆる「ディズニーの王子様キャラ」はちょっと想像がつかない(ごめんなさい

 

日本でもそうかもしれませんが、やっぱり、俳優さんのキャラってあると思います。

 

陳暁さんの演じる楊堅は1話で出てきた瞬間からもう、ため息が出るほど美しくて、信心深く、危険を顧みず主人公を助ける超イケメン

ずーっと伽羅LOVEだし、野心もないような描き方だし、

最後に罠に嵌められて文姫ちゃんを抱いちゃうときも、

あくまでも彼はお香で半分眠らされて、文姫ちゃんの方が襲うような演出になっています。

 

かたや、張丹峰さんが演じる楊堅は、一生懸命だし文武両道だし、まあイケメンですが、

曼陀に騙され続け、伽羅を傷つけ、40話くらいまで「女性のことになるとダメダメな男」ですし、

最後、曼陀の罠で宮女を抱いてしまうときも、お香で耄碌していたとはいえ、自分から主体的に押し倒してますし…

 

あと、キミは何回「弟か妹を作ろう(意味深

といえば気が済むんだい...??昇天昇天昇天

 

独孤皇后の方はラブシーンが少なかったことの不満があったので、

独孤天下の方の、各人のラブシーンに満足はしてましたが、

楊堅ちょっとはしたないですわね...

(※張丹峰さんだからこういう演出にしたんですよね、陳暁さんだったら絶対こんなキャラにはしないですよね無気力無気力

 

しかもね、「諍い女たちの後宮」でも、「致青春」でも、

え?張丹峰さん(※が演じるのに合う役)って、「(若干)無理やり女性を押し倒す」キャラなんですかね…あんぐり悲しいネガティブ)

 

・・・

 

さて、本題の花千骨。

今回は、ドラマと原作の比較をしようと思います。

基本的に原作がとっても良かったと私は感じているのでドラマへの文句になってしまいますが、備忘録としてあしからず...

 

色々と原作との違いはあるのですが、私が「ここは変えてほしくなかった」という三大ポイントが、

①東方彧卿の設定

②千骨が東方の正体に気づくタイミングと気づいたあとの対応

③千骨の転生後

 

①東方彧卿の設定

この感じ、風の谷のナウシカの原作版を読んだあとに映画を見た時に残った感覚とよく似てました。

私は特にクシャナの扱いが納得いかなくて、

原作ではクシャナはとても思慮深く部下にも慕われる「超デキる王女」なのに、

映画では短絡的な侵略者に描かれていたのがとっても残念だったのですが、

東方に関してはまさしくそれと一緒!

 

原作の東方彧卿の存在って、本当に深くて悲しい存在なんですよ...。

この宇宙と世界の事を知りすぎているために、天からも嫌われ、仙人になることもできず、輪廻から抜け出すことも許されず、

何千年も記憶を保ったまま生まれ変わり続けないといけない。

各世では25歳までしか生きることができない(これは緑鞘も含め、異朽閣に関わる人物は皆同じという設定です)。

人であるが、人ならぬ存在というべきでしょうか。

そして、今世でもう1年千骨と生きるために、来世から5年借りたうえ、悲惨な最期を迎える...。

 

そこをドラマでは、「父親(=先代異朽閣主)を五上仙に殺され、特に白子画を恨んで、彼を倒す機会を狙っている」

という、とっても「普通の人間らしい」設定にしてしまったので、

深い、ふかーい、彼の「業」が消えてしまい、全体的にどうも矛盾とか、不適合な部分が出てしまってるんじゃないかと感じます。

(お父さんを見る限り「25歳までしか生きられない」という設定は全く無くなっていましたね)

(東方の設定を変えたと同時に、糖宝もあんまり活躍しないのもちょっと悲しい)

 

②千骨が東方の正体に気づくタイミングと気づいたあとの対応

これ、本当に、ちょっと引っ張りすぎてて、

いい加減、千骨は東方の正体に気づけよ!気づかないにせよ、怪しめよ!

ということでしょうか。

原作で千骨が太白山の戦いなどから、「そもそも、普通の書生があんなことできるのがおかしい

という発言をしているのが至極ごもっとも真顔真顔

(白子画たち上級の仙人たちはもっと前から分かってないといけないと思うんですが)

 

原作の千骨は、異朽閣と異朽君にどちらかというと感謝をしているし(確かに実際助けてもらっているのは間違いない)

東方が異朽君だと知ったときも怒ることなどなく受け入れ、その後も対価が払えていないことを気にしながらも、彼の助けを借りてやっていきます。

殺千陌を受け入れた千骨を考えると、私はそっちの方が自然な流れだと思うんだけどなあ。

仙界の敵である七殺派のトップと分かっても、殺阡陌のことを「姉」と慕い、彼に頼りながら降りかかる課題を乗り越えていくことと同じく、

決して光が堂々と当たる存在ではない、どちらかというと仙界に警戒されている異朽閣の閣主である東方にも、

「良くしてもらった」という恩義を感じ、兄のように慕う。

頭の固い長留など上の仙人たちとは違う、千骨のまっすぐな心が良く表れていると思います。

毒に侵された子画を救うために東方に助けを求めるのも、彼が「異朽君」と分かって助けを求めるのか、知らずに求めるのかでは、

なんというか、意義が全く違うように思います。

 

千骨が知ってしまった後の反応ですが、

いや、あんたの周り、もっと直接的に悪い奴らばっかりで、そいつらのせいでこんな目に遭ってるんだよ?

東方=異朽君がなんだよ、大したことしてねえ、そんなことに怒ってる場合か?!」

と思わず突っ込んじゃいました。

 

彼が勧めなくても、子画を助けるためなら千骨はリスクを冒しても神器を集めただろうし、

ドラマの設定に沿うとしても、父親を殺された経緯と、自分への真心を考えたら千骨がそこまで彼に怒ることは無いと思うんですよね。

例えば、もっと前に東方=異朽君であることを知って一度ショックは受けるが、

異朽君の過去も知ってしまい、同じく父を助けられなかった身として結果的に彼を受け入れる、的な話があっても良かったのではないでしょうか。

 

他に、東方がらみで他に少し細かいところを2点ほど。

1つは、三尊の審議にかけられる前、牢屋に入れられた千骨に東方が会いにくる話で、東方と千骨のキスシーン。

日本語字幕では、「君は恩返しをする必要はないんだ」となっていましたが、

この部分、中国語をほぼ直訳すると、

「このキスで、君が異朽閣に払えていない対価はすべて清算した」

なんです。

あの冷静で冷徹な異朽閣の閣主である彼が、本気で千骨を愛してしまったことがこのセリフに集約されていると感じます。

なので、もうちょっと日本語訳を工夫してほしかった…

 

もう1つは、東方彧卿が死ぬところですが、

千骨をかばって摩厳の一撃を食らった彼が、吹き飛ぶときに千骨の目を覆いますが、

原作では、彼の肉体がすべて砕け散るというはるかに悲惨な状態になってしまうので、「見てはいけない!」と目を覆うんです。

その前提があるから、「目を覆う」という行為が活きてくるのですが、

単に数メートル飛んだだけで目を覆うのは…

 

原作の設定をきちんと再現していないのに、セリフや描写だけ真似すると、つぎはぎ感がすごいのでやめたほうがいいと思うんですよ魂が抜ける魂が抜ける

 

③千骨の転生後

これは前回に少し書きましたが、もう少し詳しく書くと

●千骨は魂が砕けて、そのうちの一つが少女に転生し、東方、殺千陌の助けを借りて彼女を探し当てた白子画が連れて帰り、育てる

●千骨は成長し、転生した東方と出会い、前世があったことを知る

●白子画はやはりなかなかはっきりと千骨を「愛している」という気持ちを表すことができない

●転生後の千骨は一旦、東方と結婚したいと家出する

●東方の薬で前世を思い出す

●東方の指摘もあり、白子画はようやく千骨を「愛する人」として認めることができる

●ただ、前世のために5年の命を来世から借りていた東方はすでに死に、幽霊となっており、千骨を見守り続けていた

 

原作内の東方も実は、転生し続けた中の多くの世で白子画に殺されているという、理由は違えど恨みがあるため、

「生死の難」である千骨を彼に近づけたのは確かだし、

異朽閣の閣主として、千骨と世界がその宿命にたどり着くよう、結局彼女を妖神にしてしまうように導いてしまった。

そういう意味ではやっぱり、千骨を愛してはいても「異朽閣の閣主であることを優先した」人生であり、

生まれ変わった彼が、「もう千骨を利用しない」と言うのが本当に辛いところ。

 

最終、転生後の「来世」で大団円を迎えるのが、壮大な叙事詩のように感じるところなので、

これがバッサリと切られているのが本当に残念なポイントです。

 

・・・

 

このドラマは思うに、

「生まれたときから妖神になる宿命をもった千骨と、

誰かを「愛する」ことができなかった上仙である白子画の運命的な縁と、愛と、破壊と再生の物語」

で良かったんじゃないでしょうか。

千骨が妖神になる定めに向かってスタートし、それに色んな人が絡んでくる話、なんですよね。

つまりは、東方彧卿の設定を変えたことだけがダメなのではなく、千骨自体の大きな設定の一本柱を変えてしまってるからおかしくなってる。

 

①~③までだいぶ長いこと批判的に書いてきましたが、

ドラマ側の事情をおもんばかると、すべて描き切るためには相当な脚本力が必要になるし、50話では終わらないでしょう。

(もちろん当局の検閲の問題もあるかもしれませんし)

また、大衆向けにドラマにするのならば、一体、深い考察をどれくらいの視聴者が興味深く観てくれるのか、というのも疑問符がつく。

なので、表面的に分かりやすくインパクトのある設定にしたのかもしれません。

 

ナウシカだって、2時間の映画で、しかもある程度子ども向けにするにはあんな内容になるだろうな、というのは理解してます。


まあ、原作通りの東方彧卿にするとしたら、

張丹峰さんはまたちょっと違うかもしれない、とは感じます。

 

そういえば、彼はトーク番組で、「花千骨」と「致青春」の話をする中で、

「(花千骨での)『セカンド君』から卒業して、(致青春では)最終的に美女ゲットだぜ!」

と言っていましたが、

あっ、本人が同じこと思ってる…!よだれよだれ