君の幸せを願って止まないよ

生きる喜びを与えてくれた人

ほらね世界が色づいていく

日常を照らす鮮やかな希望

守りたいその笑顔

(佐久間大介 「守りたい、その笑顔」)

 

さっくんのソロ曲、本当に良いですよね。

応援する人、「推し」がいてその人が好き!という気持ちを、伸びやかな佐久間くんの歌声で歌い上げる名曲だと思っています。

 

こんな風に愛せたらな・・・と思うことが、ここ2、3か月よくあります。

 

私自身は実は「推し活」というトレンド的言葉があまり好きではないのですが、

「推し」がいるって、生きがいも与えられる一方で、とても苦しい思いをすることもある、という事実に打ちのめされました。

 

どうしてこんなに胸が苦しくて、離れたくなるのか。

 

あんまり認めたくなかったけど、「リアコ」的感情があることを認めざるをえなかった。

いや、認めてしまうと、ある意味で楽になりました。

 

すごく秀逸なブログ記事を見つけまして。

 

 

いやほんとにおっしゃる通り。

 

知り合いでもない、よく本当の人柄を知りもしない、画面の向こうの人に対して

"LOVE"的な感情が湧くなんて、と驚く気持ちと戸惑う気持ちと。

さらに言えば、私はいわゆるパートナー(もとい夫)がいる。

それなのにこんな想いを抱いている自分に恥ずかしさも気持ち悪さも罪悪感もある。

 

リアコだったら、他のファンは「恋敵」「嫉妬の対象」

あー・・・そうか、そういう感情もあるのかと知ると愕然とする。

 

SNSでほかのたくさんのファンがキャーキャー言っているのに胸騒ぎがする。

色々なTV等やCM出演が決まると、よけい人気が高まるから逆に黒い独占欲を刺激される。

そもそも独占なんて出来ないのは分かっているのに。

 

素直に、こんなに露出が増えて、たくさんの人に見てもらえて嬉しいよ!とか、頑張ってる姿に元気をもらうよ!

と言えればいいのに。

そんな風に応援できる人が羨ましい。

 

ただ、

アイドルを推す人は男女問わず、全く性的な、または恋慕的感情が無い人は少数だろうから、

そこはそういう感情を抱いていることを認めるしかないし、否定をすると余計苦しくなるだけだと思いました。

素直に認めよう。

 

よく認めたね、頑張ったね、と、自分の中の「リアコで苦しむ小さい自分」を抱きしめて、まずは肯定してあげよう。

既婚者でもふと違う人の姿にときめく瞬間はあると思います。

 

 

そして私が苦しいのは、他にも

・あまのじゃくな感情

 →有名選手はユニフォームすら買わなかったのに、「一般的にかなり人気」な人を推してしまったことに気づく

(いやもっと早く気づけよ、なんですけどね)

・自分が追い立てられる

 →いまいち気力が湧かない今の自分と、なんだかうまくいっているようでうまくいっていない仕事やプライベートの状況が、バリバリ活躍してどんどん人気が上がっていっている推しの存在で焦らされるような気持ちになる

(推しの年収を計算するのはやめましょう(自戒))

 

考えすぎだしのめり込みすぎだし。

 

これは不健全だと思います。

本来、「推し」から元気をもらって、お仕事や家事、育児などを頑張ろう!

というのが正の循環ですが、

今の状況だと、自分を責める材料になっている。

 

冷静に考えると、今は、

・ちょっと推しから離れて違う活動をしてみる

・SNSに深入りしない

のが正解なんだろうなあと感じます。

 

やはり、

まずは自分が一番大事、

自分の人生は自分しか生きられないのだから、

自分の人生を豊かにするのも最終的には自分なのです。

推しの営業部隊だったりリアルの家族であれば別ですが、あくまでも彼らは遠い存在、なのですよね…

 

応援する人が元気で、活躍することを、心の底から祈って、

自分も、そんな人を見ながら頑張ろうって心の底から思えるまで。

 

もう一度だけもう一度だけ

それこそ、君じゃなくちゃ

君じゃなくちゃって

君と僕とやり直し

心がわりできない

さよなら、ばいばい

さよなら、ばいばい

(一青窈「心変わり」)