こんにちは。
木代(きしろ)明子です。
さいたま市で、心と体をデトックスして願望実現するアーユルヴェーダと、インド占星術のサロンをしています。
◆なぜ、心と体をデトックスして願望実現なのか?
わたしが自身、心と体のことを学び、デトックスしていくことで重度のアトピーをほぼ克服しました。
左はいちばんひどかった一晩でタオル3本を浸出液でびしょびしょにした時期を、ようやく脱したところ。
右は、2018年に撮ったもの。
願望実現というと、いわゆる成功を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、そうではありません。
何より自分自身でいること。
自分自身を愛し、楽しみ、表現すること。
1人でいる時も、身近な人といる時も、社会の中にいる時も
自分と言う愛の形で居続けること。
それが”願望実現”
アトピーは”その思い込みは間違ってるよ!いらないよ!””自分から離れているよ!”というかなり強烈な体からのお知らせでした。
今もたまに多少出ますが、前ほどそれについて気持ちが落ち込んだりはしなくなりました。
人によってちょっと無理したり、ストレスがたまった時に出る、お知らせ。
と言った感じです。
◆体を触ると、わだかまりの感情や、押し込めていた本音が浮き上がる
普通のアーユルヴェーダのオイルトリートメントだけでも、十分リラックスして、活力が沸いてきます。
ですがお客様の中には、トリートメント前にお話していたことについて、その後に大きな変化をご報告下さる方が多くいます。
例えば、
彼氏や彼女が出来た、
いつも『大切にしてくれないんだろうな』という人ばかり選んでいたけど、そうじゃなくて大切にしてくれる人と付き合えた、結婚した、妊娠した、
セックスが怖くてできなかったけれど、今では楽しいぐらい、
どうしても怖くて会いに行けなかった親に会えて、気持ちを伝えられた、
昇進した、転職が成功した。
等などです。
早い人で、サロンにいらしてから10日後に彼女が出来た、という方がいました。
だいたい、1~3ヶ月以内に何かしらの変化を感じる方が多いです。
なぜそんなことが起こるのか?
わたしは6~7年前から、人の体を触るとその人の過去のイメージが見えたり
体に残っている感情の塊のようなものが分かって、それをほぐして流すことが出来るようになっていました。
自分自身が19歳からアトピーで悩み、
リハビリテーション職の作業療法士として仕事をする中でたくさんの人の体と人生に触れ続けてきました。
また、ある先生について自分の感情や過去と向き合い、自分を知る機会がありました。
そういう時間の中で、心と体の相関や、その表れ方についてたくさんの経験を積んだことで
体から感情に触り、動かし、その人が望む方向へ歩むためのアシストが出来るようになったのだと思います。
◆表に出さない感情は、体に残っている
感情は、感じきると消えてしまいます。
だけど、『そんな感情は感じたくない』『そんなことは思ってはいけない。感じてはいけない』『自分はそんな感情なんてない』と
表に出さないでいると、体に残って溜まります。
『なんだか分からないけれど、毎日つらい。苦しい』
『自分のことが大嫌い』
『いつも同じパターンを人間関係や仕事で繰り返してしまう』
『人間関係が上手くいかない』
『慢性的な症状があって、中々改善しない』
『いつも疲労感がある』
『自分なんて』
という状態になりがちです。
ちなみに、わたしは↑のものが全部ありました(笑)
体に何かしらの症状として出ることもあれば、
溜めこみすぎた感情がごちゃ混ぜになって、ヘンテコなパターンが出来上がってしまいます。
なので、いつも同じようなパターンで人との関係が上手くいかない。
わたしもそうでした。
◆大学浪人時代にアトピーになる
アトピー症状が出たのは、大学浪人時代でした。
それまでは、嫌なことがあるとすぐお腹が痛くなったり、熱を出して寝込んだりと
感情と体調が直結しやすい傾向こそあったものの、特に持病のような慢性的な症状はありませんでした。
ですが暑くなってきた頃、目の下や瞼がガサガサするし、痒いし、赤い。
処方薬をもらって対処していたものの、あんまりすっきりは良くなりませんでした。
今思うと、別に自分で『行きたい』と思っていた大学でも、『なりたい』と思っていた職業でもなんでもなかった。
親に言われるから、そうしているだけ。
本心ではそれが不服だったから、アトピーとして表れたんだと思います。
肌は外側と自分の内側との最初の境界線です。
親の気持ちと、自分の気持ちの区別が曖昧になっていて
肌と言う境界線がグズグズになっていました。
◆アトピー本格化、ひどい便秘、薄毛に悩まされた大学時代
『ここに入れたらいいな~』と思っていた大学に入学することが出来、初めての一人暮らしが始まりました。
前期はまだいろいろ初めてのことが嬉しいし、楽しいままで終わりました。
ですが、夏休みが終わるに近づいて、アトピーが大爆発。
両頬、目の周り、唇が腫れるし、ガサガサになって血が出る。
もう『こんな姿を誰にも見せたくない!』『大学もいかない!!』とふさぎ込んでいました。
なんとか無理やり後期も大学に行っていましたが、症状は良くなったり悪化したりをずっと繰り返していました。
他にも、夜中にお腹が痛すぎたのでどうにかこうにか救急を受診して、レントゲンを見せられながら
『うーん。特に異常所見は無いんだけどね。これ分かる?この白いの、ぜんぶうんこです』
『便のせいでお腹痛いんだと思うよ。浣腸してく?』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ほんっとうにこの時はお腹が痛くて、2メートル歩くのも息も絶え絶えでした。
その原因が、うんこ。
よく腸閉塞や腹膜炎にならなかったなと思うほど、
便の溜まり過ぎによる重度の腹痛は、大学時代によく起こっていました。
そんな具合にストレスを溜めまくっていたので、頭皮もカチコチに。
気が付いたら、なんか、頭頂部が薄い……。
肌もボロボロ、髪も薄い、お腹の中はうんこ溜めがち。
この頃は精神的にもすごく不安定でした。
自分で選んだわけではない資格を取るための大学。そのための授業、実習。それがまた量が多くてきつい。
特に4年生の長期の臨床実習では、8週間いかないといけない実習を「もう限界です」と、6週間で中断しました。
中断する少し前から精神科で安定剤を処方してもらってもいました。
ほんとうに不安定で、常に無価値感にさらされているような時期でした。
自傷行為のようなむちゃな性的関係をたくさん持ったりもしました。3桁には届かないけど、両手両足では全然足らないぐらい。
そこそこに危ない目にもあいました。
病気にもならず、ニュースにもならず、今日まで無事(?)に生きてこられてよかった…。
この頃の自分のことがよっぽど嫌だったんだと思うのですが、探しても写真が一枚も無い…(^^;
◆まだまだ続く、アトピーと人間関係ぐちゃぐちゃ時代
どうにかこうにか卒業し、作業療法士の国家試験にも受かり、社会人になりました。
だけれど、毎朝仕事に行く前は『今日は何について怒られるんだろう』と、いつも不安と緊張でいっぱいでした。
実際は毎日怒られていたわけではないけれど、『怒られるんじゃないか』という恐怖はいつもいつもありました。
この時はまだまだ内面の混乱も大きくて、特に父との仲が最悪でした。
父親は、社会の象徴。
その父との仲が悪いと、上司との対立・排斥、会社での人間関係が上手くいかない、ということが起こりがちです。
必ずと言っていいほど、どの職場でも上司には嫌われました。
病院で働いていた時は特に、周りのセラピストと考え方が合わず、それもまた不安や緊張のタネでした。
『少しでも歩けるようになることこそ、意味がある』
『何か出来るようになる、達成できるようになることが成長で、それに価値がある』
こういう考え方は、若い患者さんには当てはまることも多いでしょう。
だけど、80代後半~90代の患者さんに、これらを求めることがいいことだとはどうしても思えませんでした。
『楽になった、気持ちよかった、ほっとした、楽しかった。これだけだって十分で、大切じゃないか』
そう強く思いながら、他のセラピストに何か言われるのが怖くて機能訓練を優先させ、その度に落ち込んだり、怒ったりしていました。
そんなストレスを抱えていたら、アトピーも悪化します。
ひどい時は、顔中が腫れて、血や浸出液がダラダラ流れるような時もありました。
夜寝ていると、浸出液で顔が濡れてきて気持ち悪くて目が覚めるのです。
一晩でタオル3~4本が浸出液でぐっしょり濡れるぐらいでした。
これは、いちばんひどかった時から、(これでも)だいぶ良くなってきたときの写真です。
浮腫んでいますね…(^^;
この時は、背中、胸、首、お腹と、今まで症状が無かったところにも出ました。
びっくりしたのは耳の穴や鼻の穴にも症状が出たこと。
アトピーがひどかった時は常に体も疲れているし、どうにかしたくていろいろな健康法を試しました。
マクロビ、砂糖抜き、断食、塩抜き、サプリメント、ノニetc・・・。
だけど、どれも効果がありませんでした。
それらを教えてくれた人に質問をしても
『もっと頑張れ』『今までの毒が出てる』『これも追加して買って、もっと使わないとダメだ』『そんなことも守れないのか』
あれもダメ、これもダメ、
ダメダメだらけ。
仕事もダメ。
わたしの考えや大切に思っていることは受けいれてもらえない。
健康もダメ。
わたしは自分を律して、元気になることも出来ない。
仕事でも、自分のことである健康についても、怒られてばっかり。
わたしはそんなにダメなんだ・・・。
◆だけど実はここで鍛えられていた、体を触るチカラ
臨床経験がまだ1年無いぐらいから、なんとなく目の前の患者さんのどこをどう触っていけば
呼吸が深く、ラクに、いい感じになるのか、が分かるようになってきました。
でも、みんな出来る当たり前のことだと思っていたので、そのことについて特に人に話したことはありませんでした。
むしろ、たまにある病院の症例検討会などではボロボロに言われるので
『ああ。わたしは落ちこぼれ…』とずっと思っていました。
だけど、少しずつ『すごく楽になった』『気持ちいい手をしている』『びっくりするぐらい、優しい手だね』と言われることも出てきました。
一時期は、テクニックに走ったこともありましたが(^^;
でもそれでゴリ押ししても患者さんは良くならない。その時は良くてもすぐ戻ってしまう。
わたしが良くしてあげるんだ、と思えば思うほど、全然うまくいかない。
お互い疲れて嫌な思いが残るだけでした。
なので、けっこう早々にその路線は止めました。
こちらとしてはもどかしくても、やはり相手の変わりたいペースと範囲を尊重していくしかない。
わたしの「あ。ここどうにかしたい」「ここ変わったら良くなる」はいったん脇に置いて、
相手の体の状態、それに現れてる今の心を尊重する。
それが出来たら、結果的に相手の体が変わっていく。
なので、とにかく相手の体の状態、心の状態をそのまま手で受け止める、というチカラが図らずも磨かれ続けていました。
◆アーユルヴェーダとの出会い
そんな四苦八苦の日々の中、アーユルヴェーダに出会いました。
その時、
『もう、これしかない!!!』と直感的に感じました。
そこからネットで調べ、本を読み、その奥深さを知るにつれ
『ちゃんとした人から、しっかり体系立った内容を教わりたい』と思い、アーユルヴェーダカレッジに入学しました。
スリランカ人のアーユルヴェーダドクターからみっちりと理論、マッサージを学ぶことが出来ました。
Dr.パーリタから、カティバスティ(腰にするオイル浴)を習っている時。モデルになっているのがわたしです。
日本語が上手で、日本酒とイカの塩辛とチョコレートが大好きな、おちゃめなドクター♥
アーユルヴェーダに取り組み始めて、日々体が楽に、気持ちよくなっていくのを感じました。
アーユルヴェーダを学ぶ中で、
『これは良くない!絶対ダメ!』というものや
『これだけは必ずやらないと、健康になれない!』が無い、と感じました。
実際は、古典の言い回しは強烈だったり、極端だったりするのですが
古典の中身に触れるほど、ちょっと個性の強い、とても人間臭いものに思えてきました。
前と後ろで言ってることが矛盾していたり、
時に笑ってしまうほどストレートで、でもとても合理的なことを言っていたり。
いちばん笑ったのが、いろんな強精方法について語っておいて、最後は
『一番の精力剤は、若く美しい娘である』でシメちゃってるところ (笑)
その身も蓋もない感じとか、たまらないなって思いました。
そういうところも含めて、アーユルヴェーダをひとりの愛すべき人間のように感じました。
そしてアーユルヴェーダからも、惜しみない智恵と、人のダメなところも「まぁそんなもんだよね」と受け入れる、
愛嬌と愛を注がれているように感じました。
習ったディナチャリア(日々の健康によい習慣)を日々実践し
アーユルヴェーダの理論に基づいた、その時の体調と体質に合った生活習慣、食事をする。
そこにちゃんとシンプルで分かりやすい理論があるので、自分で日々考えて応用していくことが出来ます。
だからなのか、これまでの健康法の実践では感じられなかった安心感と納得感がすごくありました。
何より、なんか気持ちいい。
もちろん、効果もちゃんと出ました。
3ヶ月で自然に4キロもやせ、アトピーも普通にお化粧が出来るくらいによくなりました。
さらにアーユルヴェーダがほかの健康法といちばん違う点は、健康について定義があることです。
健康とは、自分らしいこと、心も体も快適で気持ちいいこと、人生を楽しんでいること。
この考えが根底にあるアーユルヴェーダの教えは、どこかユニークで、大らかで、とても勇気づけられるものでした。
『楽になった、気持ちよかった、ほっとした、楽しかった』
そう患者さんに言ってほしかったけれど、実はいちばん自分がそれを感じたかったんだ。
自分のことをダメだダメだと思っているのって、自分らしさや楽しさとはほど遠い・・・。
でも、だからこそ自分を好きになりたくてたまらなかったし、楽しくなりたかった。
アーユルヴェーダを学ぶ中で、自分のそんな願いに気がつくようになりました。
◆感情についての学びと、父との和解と、体調改善
アーユルヴェーダを学び始めて数か月後ぐらいに、本田健さんと言う作家の方に出会いました。
最初は本を読んだり一日のセミナーに参加してみる程度でしたが、
徐々に合宿セミナーにもいくようになり、半年間のプログラムにも参加するようになりました。
そこでは人間関係の仕組みと、その仕組みの中で起こる感情の綱引き、
普段は意識にも上らないような、自分の感情の深い部部を見つめ、癒す。ということを学びました。
うちの両親は、わたしが子どもの頃から不仲で
それの影響もあってわたしは物心ついてから父のことが大嫌いでした。
父が帰宅する気配がすればリビングからさーっと退散し、休みの日でもわざと一緒に食事もしない。
ごくたまにですが、木製のバットを振り回して怒鳴り散らす父が怖くてたまらない。
大人になって家を出てからは、父からの電話は出ないし、出ても毎回ケンカになる。
今では、父方の祖父母の墓がある岐阜まで一緒に行ったり
たまに食事に行くぐらいになりました。
そのきっかけをくれたのも、本田健さんのコミュニティでの学びでした。
一連の体験をまとめたものが、↓です。
http://saitama-ayurveda.com/pdf/father.pdf
これ、読み返すたびに泣いてしまいます。
自分で書いたけれど、自分だけの力で書いたものじゃない。いつもそんな気持ちになります。
なので、リンク、ダウンロード、配布、全てフリーです。
認知症のため、わたしのことはすっかり忘れていた父方の祖母と。
父との和解前。
父との和解直前にはアーユルヴェーダを実践して数年たっていましたが、なかなか疲れやすさは改善しませんでした。
ところが、父と和解してから、明らかに体調が変わりました。
すごく体力がアップしたのです。
子どもの頃からイヤだなと思うことがあると、すぐ体調を崩す子供でもあったので、
中学生ぐらいの頃には、心と体にはとても強い相関関係がある、と思っていました。
この父との和解により体調が大きく改善したことは、本当にインパクトがありました。
『やっぱり!』と、身を以て実感し、その確かさが血肉になった瞬間でした。
バンクーバーへ行った時の写真。都会と広い空が隣り合わせの国。
なんかすごく元気が出た。
◆アトピーを通して分かったこと
わたしのアトピーがひどくなった理由は、
*それまでの間違った知識と、何が正しいのか知らないが故の不摂生がたたっていた。
*感情的にめちゃくちゃ溜めこみすぎて、混乱して『本音』が全く分からずにいたこと。
どんなふうに症状が出るのかは、人によって違う。
だけど、根本の理由は↑がほぼ全てです。
なので、克服していくためには
*自分の体調を日々感じて、把握して、それにあった生活を送る。
*日々の気持ち、『本音』を、ちゃんと感じて適切に表現する。丁寧に扱う。
スリランカのアーユルヴェーダ専門のホテルでの一枚。
日々ゆったりと過ごして、自分を大切にできた貴重な時間。
アーユルヴェーダを学ぶことで、体調に合った生活を自分で作れるようになり
感情の世界を知り、自分と向き合うことを学び、自分の感情との付き合い方や扱い方を変えていきました。
その結果、
上の写真と、ちゃんと同一人物です(笑)
今もたまに症状が出ることもありますが、ちょっとかさついて痒いな~、ぐらいです。
そんなに気にしなくなりました。
人間ってすごいな~~
アトピーが無かったら、わたしは人の気持ちを慮ることもせず
自分の痛みも、人の痛みも分からず、不摂生な生活をしてだらけた体で
文句ばっかり言う高慢ちきでイヤな人間になっていたと思います。
◆変わる力はその人の中にある
自分自身が体や心を良くしていくことや、リハビリの仕事で会う人たちを見ていて
【治す力、変わる力はその人の中にこそある】と感じます。
たまに、『あ。この人ここからぐっと良くなるな』と分かる患者さんに出会うことがありました。
病状としては変わらず、むしろ悪化していったけれど、家族との関係がガラッと変わりだした患者さんもいました。
自分で治るスイッチ入れたんだ、って分かる瞬間があるんです。
そういう人は、自分の力や可能性、価値、するべきことを自然な状態で、すごくはっきり認識している。
そういう方たちに共通していたのが、「ほんとうはこうしたい」「こう思っている」というような本音を話してくれた前後で、
ぐっと体が良くなったり、あるいは日々の表情や生活の様子が明るくなる、ということです。
自分の場合でもそうでした。
今まで認めたくなさ過ぎて無い事にしていた『父のことが大好きだ』という本音を掘り起こし、認めることで父との和解が進み
それが体調にまで大きく影響しました。
アーユルヴェーダの定義する、健康=心も体も自分らしくあるに、大きく近づいたのです。
目の前の人が、その力を使うか、いつ使うのかはその人次第。
だけど、誰の中にもそのためのスイッチがある。力がある。
それは、今まで無かったことにしてきた『本音』がスイッチであり、治る、変わる、自分自身を生きる力そのものなのだから。
◆心も体も自分らしく、と願う人の役に立ちたい
『なんだか分からないけれど、毎日つらい。苦しい』
『自分のことが大嫌い』
『いつも同じパターンを人間関係や仕事で繰り返してしまう』
『人間関係が上手くいかない』
『慢性的な症状があって、中々改善しない』
『いつも疲労感がある』
『自分なんて』
こういう悩みを抱えている時は、自分の『本音』を必死で見ないふりして生きている時です。
ちなみにわたしはこれが全部ありました。
しんどかったな~(笑)
『本音』を口にするのは、時にとても恥ずかしかったり、辛かったりします。
その過程で、今の辛い状況やダメだと思っている自分と改めて対面しないといけないからです。
さらに、それまでその『本音』を無かったことにしたくて頑張ったり、意地を張ったり、我慢してきたのに。
『本音』を口にしたら、その頑張りが無駄だったような気になっちゃって、余計頑固に抵抗します。
わたしも、合宿セミナーで50人の前で、死んでもそんなこと言ってたまるもんかと思っていた「おとうさん、大好き」を言わされた時の恥ずかしさと衝撃たるや。
でも、ほんとのほんとの『本音』って、自分にとっては恥ずかしいものなんです。
だけど、口にして表に出してあげると、それを抑え込むのに使っていたエネルギーを他に使えるようになります。
エネルギーが十分ある状態になるので、元気になったり、表情が明るくなって人が寄って来やすくなってパートナーが出来たりします。
『やりたいこと』を実行していくだけのエネルギーが十分あるので、それが叶っていきます。
↑ずっと行ってみたかった久高島に行った時の写真。埼玉にはない海に大感動しました。
アーユルヴェーダでは、オイルと愛は、スネーハという同じ言葉で表します。
【オイル=愛】なのです。
さらにそこに、様々な薬効のあるハーブの煎じ液を混ぜて、お祈りとともに煮詰めることで
とてもパワフルで、愛嬌と、慈愛に溢れるオイルになります。
そのオイルを使って全身をマッサージすることは、『本音』を掘り起こすあなたを愛とユーモアと温かさでサポートすることです。
アーユルヴェーダの古典では、オイルマッサージをすると皮膚からオイルが吸収され、骨髄にまで届く。
そして体中に散らばって血管や組織にへばりついている老廃物をゆるめ、溶かし、流し出す。と言われています。
消化・代謝の産物としての日々の老廃物もあれば、感情的な老廃物もあります。
恐れ、「自分なんて」という間違った自己認識。
そういうものが感情的な老廃物、自分らしく快適に生きるのに不要なものです。
『自分なんて』を、オイル=愛でこそげとり、本当にやりたいこと、本当の思いに気づいていくトリートメントです。
自分の『本音』に気づいて、自分の健康状態や人生を変えていく人は
ほんとうに何とも言えないその人らしい魅力にあふれています。
オイル=愛で満たされると『わたしは大丈夫』という感覚が沸いてきます。
愛と、愛嬌たっぷりのオイルを使ったトリートメントで
あなたが魅力的に、自分らしく元気になる過程をサポートします。