3月 父が旅立ちました。
備忘録のようなものを残したくて、こちらに書かせていただきます。
3年の闘病生活。
2月末日に父が自宅緩和にはいってから、今 父がどんな状態であるのか・・・病状を1日中ネットで調べまくっていた事がすでに懐かしいです。
父は膵臓がんでした。
癌の中でも、非常に怖いと言われるすい臓がん。
見つかった時、手術をしてみてステージ3だとわかり・・・これも、3年前は調べまくりました・・・笑
膵臓癌の患者としては、とても元気に過ごせた時間が長かったとお医者さんには言われました。
末期と言われてからも、九州に旅行に行ったり友だちとご飯を食べに行ったり。
もちろん副作用に苦しんだり、体調が悪く入院したり、そんな事はありましたが、
私たちがイメージする「がん患者」とは全然違った父。
なので家族みんなが、
「末期癌と言われて何十年と元気に過ごしたケースの人」
になるんじゃない⁉️ なんて話してたほどでした。
あまりにも急で、坂を転がり落ちるように悪くなって、あっという間に会話ができなくなってしまいました。
これまで、すごく元気だなーと思っていた家族とは反対に、父は少しずつ自覚して、準備をしていたのかもしれない。
旅行はすべてお友だちに会うために行き、行く先々で同窓会を開催してもらっていたようです。
葬儀が終わり、親交のあったみなさんに報告をしたのち、沢山の電話・手紙・お花が届いています。
入院先から自宅に戻って2日後、写真嫌いの父が 「写真撮ろうかー」 と言って驚きました。
私たちはのん気に考えていたけど、思えばこの翌日から寝たきりになり、薬はどんどん強くなり、24時間 気をぬけない状態になりました。
そんな父の状態を人に説明しなければならないとき、「なんで?何でそんなに急に?」 と言われることが多くて、
「そんなんこっちが知りたいわ!」 と、説明しながらイライラしていまう事が多々ありました
皆さん心配してくれてたのにって反省しながら・・・
母も兄も姉も、こういう・・・いつもなら絶対にイライラする事なんてないような小さなことも気になってしまう、特殊な感情を抱いていたんだと思います。
父が旅立ち落ち着いてきてから、「あの時はやっぱり、みんなちょっと変やったね。」って、母とそんな話をするようになりました笑
父は、最後は自宅で迎えたいと言っていました。
私にとってもそれは本当に良かったことで、
さすってあげる背中が日に日に骨ばって、手や足は日に日に冷たくなってくること
想像する事しかできない痛みと戦っている事
大量の吐血にびっくりしたこと
上手く言えないけど、最後に向かう時間を一緒に過ごせた事は、言いようのない辛い時間でもあったけど、
父が病院に居て、よくわからない間に過ぎていくよりはうんと良かったなーと思っています。
まぁ・・・父は娘の私にそんな姿を見られるのは嫌だったかもしれないし、
ましてやトイレの介助なんて絶対にいやだったかもしれませんけど笑
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
子どもの頃は、私は父が嫌いでした。
ほとんど家に居なかったし、超がつくほど亭主関白で頭が固かったし、思春期特有の「父嫌い」だったんです
でもやっぱり、自分が社会に出てからは父をうんと尊敬するようになりました。
父は、誰もが知る大手企業で長年働いてきました。
昇進していく事、またそれを継続していく努力を知り、
そしてまた、退職後何年もたった今、「お世話になったものです」 と何人ものかたから連絡をいただく事が出来るなんて、本当にすごいなと・・・
私だけでなく、兄も姉もきっと同じ気もちだと思います。
退職後も大学院へ行き、臨床心理士の資格をとり、新たな仕事をしていました。
また闘病中には公認心理士の資格も取得。
きっと、まだまだいろいろな事にチャレンジして、いろんな仕事をしてみたかったんだと思います。
こんな勤勉な父から、なぜわたしのようなチャランポランが生まれたのか…・笑
父と仕事の話しをすると、
「そんな仕事の事ばっかり考えてたら、中山君に逃げられるぞ。家の事はちゃんとやっとるんか~」
と、よく言われました笑
あまりご飯が食べられなくなってきたころからは、近くにコーヒーを飲みに行ったのですが、そのころから少し父のいう事が変わってきました。
「仕事が楽しいという事は、必要とされているという事や。必要とされてる間はしっかり全うしなさい。」
「亜樹ちゃんの仕事はおまま事やと思ってたけど、そんだけちゃんと考えとったら立派なもんや。社会に貢献できたら凄いな」
「でもちゃんと家の事はやらなあかんで。」
こんな事をよく言われました。最後の言葉は、いっつも言っていました笑
父の言葉を大切にしたいなと思っています。
近しい人の「死」は、いつもいろいろな感情の中で多くの事を学びます。
もう私は40歳になるのでこんな言い方はおかしいのかもしれないけど、こういう経験をして、人を想う気持ちや自分の生き方とまた新たに向き合って、少しずつ大人になっていくんだなと思います。
40と言えど、まだまだ未熟だなという感じです笑
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
3月は生徒さんをはじめ、お友だちや仕事関係のみなさん・たくさん方に予定変更をお願いしました。
急だったにもかかわらず、調整いただいたり、温かい言葉を頂いたり、本当にありがとうございました。
今現在、頂いているお仕事は全うさせていただいて、4月前半は少しお休みをいただきます。
今は子どもたちと一緒に、なるべく母と過ごしたいと考えています。
以上!
長々とお読みくださったあなた! ありがとうございます♡