にっぽんに行きたしと思へども | 王様の耳はロバの耳

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とあるポップカルチャー系のMLで中村伊知哉さんが

にっぽんに行きたしと思へども
にっぽんはあまりに遠し

という萩原朔太郎の「フランスへ行きたしと思えど、フランスは余りにも遠し」をもじって引用したこのニュース。

http://www.asahi.com/international/update/0704/012.html

すみません、本当にこういう子多いです。
私のところにも、大学生がよく相談にきます。

以下、MLでのやり取りの再編です。

EU統合のおかげで外国にはビザとパスポートが必要、
という常識も知らない人が普通に増えてきていますし。

それにしても
フランスのオタクっ子は見た目もかわいいかったりするので、
日本の芸能プロダクションが青田刈りして
日本語教えてオタクアイドルにしてあげたら
しょこたんも目ではないような売れ方をするような予感があります。


ところで萩原朔太郎のこの句は
渡仏前は本当に遠く感じていて、よくつぶやいていましたが、
今は日本が遠く感じますよ。


で、いろいろ考察してたわけなのですが、
実はコミケに間に合うように、今から陸路で出発したという憶測も。
ひとり1ユーロの募金で1000人も集めれば、1往復はできますね。

>>フランスのオタクっ子は見た目もかわいいかったりするので、
>>日本の芸能プロダクションが青田刈りして
>>日本語教えてオタクアイドルにしてあげたら
>>しょこたんも目ではないような売れ方をするような予感があります。
>  このご意見、よーくわかります。その昔、サンディエゴの
> コミコン( http://www.comic-con.org/ )で米国人のコスプレを
> たくさん見ましたが、かなり厳しい太目のセラムンが並ぶなか、
> ああ女神さまっや エヴァ のコスプレには目を見張りました。
> とくに前者は、むしろ白人の子のほうが似合いますからね。

今年もコミコンの時期ですねえ。
SIGGRAPH2003サンディエゴの直前に開催されていて、その片鱗を見かけました。
そういえばSIGGRAPH2007もサンディエゴだったはずです。

ところで
フランスのオタクっ子の特徴は、日本のそれとはちょっと見た目が違い、
ほっそり系のビジュアル系パンクに近い印象があります。
(日に当たってなさそうで、色は白い、運動はそこそこできる)

>  彼女たちがそろってクチにしていたのは「話の合う友達がいない」
> という悩みでした。日本にあこがれるというのは、もちろん聖地に
> 行きたいというのもありますが、自分を 100% 解放できるところに
> 行ってみたいという思いもあるのだと思います。

サンディエゴの地元の女子高校生と友達になりましたが、
そこの高校の漫画研究会(訳注;Comic Fan Club)はすごいことになってましたよ。
クラスの2/3がそのクラブに所属していて、
マンガの話ができないと、友達に困るとか。もう現実が非現実的。

しかしタバコをくゆらしながら
「くはー!日本いきてえ~」とつぶやいているので
『日本に行って何するの?』と訊くと、
「漫画とかアニメとか秋葉原とか、欲望におぼれた生活がしたい」という。
まあそういう意味では、日本の引きこもり学生はこの世(地球の裏)の極楽ってところですかねえ。



ところで先日のイアン・コンドリー(MIT)さんのオタク論に
私自身が忙しくてコメントしそびれてしまったので、いまごろ補足しますが、

2000年頃の英国英語における「Otaku」は、差別的・ネガティブな意味ではなく、
「Geek」に近い、漫画カルチャーの求道者に対する照合のような使われ方をしていました。
(Geekにもネガティブな意味はあるわけですが、
 日本語での語源と用法を説明したらショックに感じていたので強く覚えています)
★ゲーム業界で働いている、ゲームで修士論文を書いたり、
 ゲーム雑誌の編集者をしているポジションにいる複数の英国人で検証しました。
 なお日本語を日本語教員から学んでいる人は、2つの意味の違いを理解していました。


 ちなみに最近では、だいぶんとネガティブな意味も普及してきたように思います。

私個人は「オタク、××について、どう思う~?」というオタク特有の文法から生まれた説を支持していますので、
作品に対する協調と同意が形成された上での、意識の共有をもとめる「極めて日本人的な行動」であると認識しています。

また、腐女子のカテゴリに属する人々の行動は少々趣が異なっていて、
ヤマもオチも意味もない(「やおい」の語源)ということを前提として、
原作者や純な作品の楽しみ方をする人々が想像もつかないような屈折したリ・クリエイションを「提案」していくわけです。
このような環境においては「新しい価値観の提案者」が潜在的な文化の伝播における重要な鍵を握ります。
(例:丸メガネ白衣男子萌え、古いところではキャプテン翼など)
しかし、カリスマであるこの種の「提案者」の特徴は「意外と飽きやすい」、ということで、
新番組が始まるたびに、新たな萌え要素を中高生を中心に提案し続けていきます。

たとえば「月刊OUT」表紙一覧
http://homepage2.nifty.com/out-site/outcover2.html

さて、ここで海外オタクの作品嗜好をみていると、
どうやら流行る作品には訳者なり熱狂者なりのプロモーターの存在が強く影響しています。
これは言語という壁がある以上、仕方のないことではありますが、
まったく人気のない作品を掘り起こしてきて、「こんな萌え方がある!」と新提案をする人はまだあまりいないようです。
逆に日本ではマジョリティを得ようとすればするほど、コアなオタクからはそっぽを向かれる傾向があるのですが、
こちらでマイナーな作品を持ち出しても、反応はよくないのが面白いところであります。


(なお、日本で全くマイナーなのに、どういうわけか非常に人気がある作品というのはたくさん存在します)
日本における角川や徳間のように、オタクが購読しそうな雑誌も存在しないようです。


なお、ゲーム雑誌はたくさん存在します。大人ゲーマー向けの美しいレイアウトが特徴ですが。

編集者や学生といった職業であるプロモータたちは、
まるで、日本の明治時代の欧米研究者のように日本を学び、
夏になるとワンルームマンションやサクラホテル、留学生のアパートなど、都内の安宿に居を構えコミケや秋葉原に通います。
しかし明治時代と違って、帰国を待たずにBlogやBBS、Chatなどで見聞録を執筆していきますので、
本国での情報伝播は非常に早いです。視聴レベルではせいぜい1週間程度のディレイでしょう。
旅行者の場合はちょっと誇張された日本のイメージが伝えられているようです。
(例:日本はどこのトイレにもサイバートイレがあり、リモコン制御のロボットが尻を洗ってくれる)

また、プロモータだけでなく、多くの愛好者は、日本マンガの多様な世界を「学ぶ課程」を楽しんでいるように感じます。
「オレはOtakuだwww!」と自負する人々は、日本語では屈折した趣味を自嘲するように聞こえますが、
欧米オタク(ひとくくりにはできません)は、自分の博識を見せびらかしているようにも見えます。
ちょうど、トレッキーやシャーロキアンに似た楽しみ方をしているわけなのですが、全く違うカテゴリと思われます。
ポイントとして、彼らの日本語は読む・聞く能力は高いのですが、書く能力は非常に怪しいので、
日本では女子小中学生でもできるような、
元になる作品を自らで昇華して新しい作品を作り出すような行動はなかなか期待できません。

たとえばこれ
http://forums.narutofan.com/archive/index.php/t-6596-p-6.html
(間違いが激しすぎて直す気も起きません)


彼らが正しい日本語を使い、正しい日本語を仲間に教えられるようになれば…
日本語や母語(おそらく英語も母語ではない)で同人マンガが描けるようになるのかもしれませんが、
そのとき、台湾・香港・韓国・中国といった漢字使用圏とはどのような違いが生まれるのかも興味があるところではあります。

なお、ゲームやリアルタイムCGコンテンツの制作を通してみる限りでは、
「カッコよさの感覚」が統一されない以上は、同じものにはならないだろうな、という予想はあります。

むしろ、テキストBBSなどの情報共有ではなく、お絵かきBBSのようなものが流行したほうが才能の開花発掘にはよいのかもしれませんが、
基本的な絵作りの世界が「ケント紙とGペン」から、3DCGやPhotoShopになっているというのもひとつの問題かもしれません。

しかし、うちの研究所所属の美大学生を見ていると、デッサンがしっかりした実物指向の学生ほど、
日本マンガを読みはしても、デフォルメした描写よりも、リアルな描写ができるCGに進んでいく傾向があるようです。
つまり絵的にはB.D.路線なのですが、フルカラーのB.D.は生産性があまり高くないので、


映画化という路線はあっても、即TVアニメ化、ということにはならないでしょうね。
むしろB.D.やアメコミが、日本のマンガのツボや、
週刊連載→TVアニメ化→コミック売り上げ…というビジネスモデルを取り入れて
進化する路線を期待したほうが、文化の生き残りと発展としては面白いようにも思います。