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吹矢のおじさんのブログ

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今日は三か月に一度の眼の検診、白内障で両目を手術、緑内障も

 

両目を患い視野が大部分欠けてきました。

 

幸い両目で欠けた部分を補って、運転やスポ-ツ吹矢も六段の点数186点は

 

維持できますね。

 

検診が終わり、その足でスポ-ツ吹矢三井寺小屋支部へ指導に行きました。

 

新しい支部、初めての吹矢を皆さんがとても楽しんでくれます。

 

 

そんな中、今日も元気にアヤさんが参加してくれました。

 

今年10月20日で99歳白寿です。

 

副支部長の娘さんに同行され、毎週練習では他の皆さん以上に頑張っています。

 

娘さんが家でも毎日吹かせて運動代わりと母親思いですね。

 

その娘さんが私に、家の練習でも6m75点以上出るし、もし年齢制限がなければ

 

2級の審査を受けさせたいのですが?と尋ねられ、今からでも構いませんよと

 

急遽2級の審査を、6m3ラウンド75点以上が合格、ヒヤヒヤしながら

 

1ラウンドの一本目、ど真ん中の7点にゲッソリ 心配をよそに3ラウンドが終われば

 

82点、98歳で余裕の合格びっくり 御見それしましたチュー

 

 

先日仕舞いっぱなしの水屋を開けたら、以前買っていたペコちゃん人形や

 

ケロちゃん人形が出てきました。

 

練習が終わったらこれから帰るをlineがでケロちゃんにしました。

 

今日は久し振りに、部員さんに昨日頂いた原酒を食前酒でチビリ、お疲れ様の

 

余韻に浸りたいですね。

 

 

ちなみにアヤさんは10月20日で99歳、私は21日で78歳、私は母の18の子

 

アヤさんは母親見たいですチュー

今朝は台風一過、青空も高く感じ秋も近いような。

 

昨夜気が付けば肌寒く、慌ててタオルケットを掛けました。

 

吹矢の指導のある日は4時半には起きて、休みのlineが無いか、今日の体育館の

 

行事予定を確認してお布団を離れます。

 

前回より三日目、柱時計のねじ巻きです。

 

 

時を刻む、定年になって働きはしない何か地域の役に立てばと、自治会の役員

 

民生委員と活動をして来ました。

 

10月で78歳、一日も早い一年も早い、18年?あっと言う間に過ぎて来ました。

 

定年後直ぐにスポ-ツ吹矢に出会い、初段、二段を取得した10ケ月の頃、規定では

 

入会1年以上、二段以上を取得していれば公認指導員の受験が可能だった。

 

県協会の計らいで受験し合格、その後上級指導員、第2回Aライセンス試験も高得点で

 

合格、スポ-ツ吹矢相模原北の丘支部を設立し、部員数も70名近くの支部になった。

 

その間斜め上の柱時計を見ては、その日の行動も分刻みで動ける。

 

この時計も3代目、東京平和島の骨董市で購入したもので、これまでは全部ゼンマイ切れ

 

時計も経年劣化には勝てませんね。

 

私も78歳、相当に経年劣化していると思いますが、まだまだ吹矢の仲間が増えています。

 

気持ちだけでも若い気でいて、もう少し頑張って行ければと思っています。

 

これから吹矢の用具を車に積んで7時30分になったら体育館へ出かけます口笛

 

 

 

先日の地元自治会館の練習で、今年入会した部員さんから、趣味で以前から

 

陶芸を習っていて、現在は先生が亡くなられ陶芸はやめたとの話でした。

 

私も佐賀県産まれ、以前より江戸時代の焼き物が好きで、ボーナスや残業が

 

多かった時に少しづつ揃えていいました。

 

特にみじんこ柄が好きで、骨董市に行っては一日中掘り出し物を探していました。

 

 

母の実家が唐津で、佐賀の三人の右衛門作の焼き物は所持しています。

 

部員さんは陶器で、私は磁器違っていても焼き物は良いですね。

 

その話の中で、先生の工房に行くと壁に吹矢の的が置いて有り、時々吹かせて

 

貰っていて、新聞折込のタウンニュ-ス、スポ-ツ吹矢会員募集を見て

 

趣味を替えてみようと体験に来たとの事でした。

 

工房は何処に有ったのと聞くと、レークタウンにと、もしかして弥永さん?

 

部員さんビックリして支部長ご存じですか?って。

 

弥永さんは8年ほど前に、会員募集の記事を見て体験に見え入会されました。

 

化学会社で北九州に長く単身赴任、早期退職制度で退職し、割増退職金で

 

家の近くの売り家を買い、そこを陶芸の工房にして趣味で暮らすことを

 

決めたそうです。灯油釜も揃え本格的な工房でした。

 

地域の方や小学校など、焼き物の良さを依頼されて指導していました。

 

時々工房へ行って、彼が作ったコーヒ-カップでご馳走にもなっていました。

 

スポ-ツ吹矢に入会して2年目頃から、吹いた後に矢を取りに行く、点数を数える

 

動作を忘れるようになり、奥様にそれとなく聞いてみました。

 

吹矢でもそうですかと!陶芸では良いのですが他の事で時々との返事でした。

 

コロナが国内で発生し、吹矢も休む事にしたころ、私のかかりつけ病院で

 

月に一度会うようになりました。 元気?じっと私の眼を見ます。

 

吹矢の先生でしょう、奥様に言われて初めて思い出す、それが強くなり入院

 

面会も出来ず、奥様もここを出る時は亡くなってからと諦めていらっしゃいました。

 

吹矢を再開した頃に弥永さんの近所の方が入会されました。

 

それから暫くして支部長弥永さん亡くなられましたよと聞きました。

 

その半年後、また弥永さんの奥様が玄関で亡くなっていたと、とても複雑な気持ちに

 

なりました。

 

彼からは幾つかの焼き物を頂きました。私が毎日焚いてる茶高炉、カップなど

 

どれも思い出ですね。

 

 

玄関に飾っています。見るたびに彼を思い出します、同じ昭和22年生まれ

 

世間は広いようで狭い、もう少し頑張っていてくれたら部員さんと一緒に

 

楽しめたのに、残念ショボーン