先日の地元自治会館の練習で、今年入会した部員さんから、趣味で以前から
陶芸を習っていて、現在は先生が亡くなられ陶芸はやめたとの話でした。
私も佐賀県産まれ、以前より江戸時代の焼き物が好きで、ボーナスや残業が
多かった時に少しづつ揃えていいました。
特にみじんこ柄が好きで、骨董市に行っては一日中掘り出し物を探していました。
母の実家が唐津で、佐賀の三人の右衛門作の焼き物は所持しています。
部員さんは陶器で、私は磁器違っていても焼き物は良いですね。
その話の中で、先生の工房に行くと壁に吹矢の的が置いて有り、時々吹かせて
貰っていて、新聞折込のタウンニュ-ス、スポ-ツ吹矢会員募集を見て
趣味を替えてみようと体験に来たとの事でした。
工房は何処に有ったのと聞くと、レークタウンにと、もしかして弥永さん?
部員さんビックリして支部長ご存じですか?って。
弥永さんは8年ほど前に、会員募集の記事を見て体験に見え入会されました。
化学会社で北九州に長く単身赴任、早期退職制度で退職し、割増退職金で
家の近くの売り家を買い、そこを陶芸の工房にして趣味で暮らすことを
決めたそうです。灯油釜も揃え本格的な工房でした。
地域の方や小学校など、焼き物の良さを依頼されて指導していました。
時々工房へ行って、彼が作ったコーヒ-カップでご馳走にもなっていました。
スポ-ツ吹矢に入会して2年目頃から、吹いた後に矢を取りに行く、点数を数える
動作を忘れるようになり、奥様にそれとなく聞いてみました。
吹矢でもそうですかと!陶芸では良いのですが他の事で時々との返事でした。
コロナが国内で発生し、吹矢も休む事にしたころ、私のかかりつけ病院で
月に一度会うようになりました。 元気?じっと私の眼を見ます。
吹矢の先生でしょう、奥様に言われて初めて思い出す、それが強くなり入院
面会も出来ず、奥様もここを出る時は亡くなってからと諦めていらっしゃいました。
吹矢を再開した頃に弥永さんの近所の方が入会されました。
それから暫くして支部長弥永さん亡くなられましたよと聞きました。
その半年後、また弥永さんの奥様が玄関で亡くなっていたと、とても複雑な気持ちに
なりました。
彼からは幾つかの焼き物を頂きました。私が毎日焚いてる茶高炉、カップなど
どれも思い出ですね。
玄関に飾っています。見るたびに彼を思い出します、同じ昭和22年生まれ
世間は広いようで狭い、もう少し頑張っていてくれたら部員さんと一緒に
楽しめたのに、残念![]()

