駿馬塚 鉛筆の碑 残った大けやき
大京町北交差点に来ています。信濃町駅をスタートして千日坂を下って新助坂を登って、信濃町友情公園と信濃町希望公園を見ました。慶應義塾大学病院の構内を巡ってから民音音楽博物館、文学座アトリエ、長安寺、アートコンプレックスセンター、大京公園と歩いていきました。外苑西通りの向こう側にこんもりとした緑が見えます。渡ってみましょう。
内藤児童遊園の大きな案内看板がありました。
内藤児童遊園の案内看板の下には、多武峯内藤神社の由来記がありました。多武峯はとうのみねと読みます。江戸時代初期の重臣内藤清成の邸内社として家祖である藤原鎌足公を祀ったのが始まりといわれています。
大きな社号標があります。内藤児童遊園はどうやら神社の境内の奥にあるみたいですね。
右に曲がると石造りの鳥居がありました。
境内に入っていきましょう。
鳥居に書かれている神額です。鎮護両祠壇と読めます。2柱2社をお祀りしているという意味でしょうか。
拝殿に額づきます。灯篭や狛犬も配置されています。
多武峯神社と書かれた社額です。
横には駿馬塚がありました。
「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」というのも江戸時代ならではの物語ではあります。内藤家の敷地屋敷の祖でもあるといえる駿馬を称える塚をつくったという物語ですね。
多武峯内藤神社辺りで鉛筆の製造所があったとのこと。三菱鉛筆のはじまりだそうです。
鉛筆は大好きです。小学生のころはボンナイフで削ったものです。中高ではクロッキーで木炭のほかに6B鉛筆も使いました。大学生になると建築設計の製図実習では、芯先を幅2ミリメートルに削り、芯の厚さを0.1ミリメートル単位でそろえたものです。社会に出るとシャープペンシルを多用するようになりましたが濃さは2Bを愛用しています。
多武峯内藤神社の横を進んで次の辻を左に曲がると大けやきが現れます。内藤町けやき公園です。
この公園の設置については地域住民の働きかけがあったとのこと。大けやきが残った、という物語です。
まるで覆いかぶさってくるかのような大けやきです。
幹の直径は1メートルもあるそうです。
大けやきの足元を見ると、なんとナメクジ駆除のお知らせがありました。捕獲用の仕掛けを探したんだけれど見えませんでした。植栽の裏にあるのでしょうかね。
電信柱と背比べ。台風シーズンには電線が心配になりますね。
この場所は内藤町1番地です。住居表示未実施地区で○○丁目の設定がない単独町名です。新宿御苑をはじめこの一帯の土地を所有していた内藤家に由来する歴史の由緒ある町名ですね。
大けやき 木陰に涼む 夏さんぽ (秋望)