智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい――
かく述べしは十年前の話にて候。
されど住みにくき世は、今日においてなお変わらず、いや、むしろ幾分か住みにくさを増したる観も否めざるを得ぬ。
あの草枕の旅より戻りて、幾度となく我は筆を執り、また置いた。
筆が紙を進むたび、風景の如く心も流れ、結句、言葉は雲に似て形を結ばぬまま、夜毎に消えたり。
そんなある折、ふとした手紙が我を誘いぬ。
それは、かの山路を下りし先にあるという、名もなき温泉宿より届きたる書簡にて、ただ一言、「あのときの絵は、未だ宿にあり候」とのみ記されていた。
あのときの絵――そう聞いて、我が心はわずかに波打ちぬ。
何ゆえに、誰が、それを保ちしや。
我は再び草を枕とし、あの旅の続きを歩まんと決意したのである。
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山路を登ること、三里。
春の陽はやわらかに枝を照らし、風の中に梅の香がほのかに混じる。
道すがら会う人もなく、ただ自らの足音のみが草を撫でてゆく。
かつて歩みし路も、記憶の中にては誇張されがちにて、実際はかくも静かであったかと、己に苦笑しぬ。
やがて、宿の木戸が見ゆ。
往時と寸分違わぬ造りに、時の流れを忘れたるかのようにさえ感じられぬ。
玄関先には、やや腰の曲がりし老女将が一人、笑みを浮かべて迎えてくれた。
「まあ先生……。覚えておりますとも。あのとき、絵をお描きなすって、台所に立っていた娘をよう写してくださった。」
我は、はじめてその絵に描かれし人物が宿の娘であったことを、彼女の口より知りぬ。
女将は案内して、奥座敷の床の間を開き、そこに布をかけて置かれし一枚の額を取り出した。
絵は、やや色褪せておりぬ。
しかしながら、その中に描かれた娘の姿――うなじに結わえた髪、わずかに俯きたる顔の角度、指先に浮かぶ湯気――いずれも我が筆がとらえし、当時のままなり。
「この絵を、娘は大事にしておりました。けれども……去年の冬に亡くなりましてな……。遺言のように申しました。『あの方がもし戻っていらしたら、絵を返してさしあげて』と。」
我は言葉もなく、ただ座して絵を見つめたり。
絵とは記憶なり。
記憶とは人の心の澱なり。
それを拾い、描きしことが、かの娘の心にどれほどの光を灯し得たか、我には知る由もなし。
されどその日より、我は絵を描くことの意味を、少しばかり深く知るようになりし気がした。
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帰途、再び山路を下るとき、雲間より春の陽が差した。
肩にかけた包みの中には、あの絵がある。
軽くもあり、重くもあり、心に静かな温みを帯びて。
草枕の先にて、我はようやくひとつの答えを得たり。
絵はただ風景を写すにあらず。
人の時と、想いと、別れを、静かに封じる器なりと。
あとがき
漱石が「草枕」にて哲学と詩情の間を旅したように、この物語はその“余白”に生まれた一つの幻影である。
記憶とは風のようなもので、留めようとすれば逃げ、ふとした拍子に手のひらに宿る。
読者諸君にとってもまた、忘れがたき何かをふと想い出すきっかけとなれば、筆者これに勝る悦びはなし。