ウクライナが気になる。
気になっても仕方がない。
私ができることはほんのわずかしかない。
気になるということさえおこがましく感じるほどの塵芥に等しいレベルである。
そして、ウクライナに関する情報を伝える、いや、垂れ流すマスコミに違和感を感じる。
何かが違う。
本当はもっと違う視点で伝えるべきなのではないのか。
プーチンが悪。
ゼレンスキーが正義。
そんな映し方、コメント…
そんなわかりやすい話ではないはずだ。
知り合いはプーチンを暗殺すればいいのに…と言った。
いや、それで済むわけではないはずだ。
いくら独裁者だとしてもプーチン1人で全てが動いているわけではないだろう。
対立しているように見せているアメリカも1枚噛んでいてもおかしくないと思っている。
すべてが想定内であって、その先にある利益のために一部の人達のためのシナリオではないのか。
そのために、ウクライナが生贄になっていてもおかしくないし、その結果、弱者である庶民の命が犠牲になっているとしか思えない。
本気で戦争を止めたい、ウクライナを救いたいと思えば、これだけの叡智を持った人類が力を合わせれば戦争を止められないはずがない。
それが叶えられないということは、本気で止めようと思っていないということではないのか。
そこが大きな問題なはずではないのか。
そして、なぜそこについてが語られないのか。
今はウクライナ。
いつかは私達の国のことかもしれない。
名もなき私達は権力者に蹂躙される。