自分のこと | Last will

Last will

こんにちは。ヨモリコウです。日記のつもりで書いているので、読んで楽しいものではないと思います。
自己満足を垂れ流ししているかも知れません。
でも、もし、共感していただけることがあれば幸いです。

人生の残りがそれほど多くないからこそ、無理をして生きるのはやめようと思っています。それが、私に向き合う人に対してのわがままであること、相手に無理をさせることになることもわかっています。

だから、相手が愛想を尽かして離れていくこともやむを得ないし、その時に1人になることも仕方ないと覚悟をしています。

それは、将来成人した子供達に対しても同じように思っています。


私は養父母に育てられた時に、その場の親の顔色だけを見て育ってきました。所詮、子供なので仕方のないことでしたが、無理なものは無理、欲しいものは欲しい、嫌なものは嫌、したいことはしたいとはっきりと言った方が良かったのかもと今は思います。

母は専業主婦のうえ内向的な性格で友達もおらず、学校の役員を引き受けることも参加することも一切ありませんでした。中学以降は面談さえも行かず、三者面談なのに担任と私でしていました。そんな母の情報と言えば、母の育った環境とテレビレベルで、中高生の私の感覚からはかけ離れたもので、母がたまに買ってくる洋服やカバンなどは『え〜、なんか違う〜』と思うようなものでした。それでも、母を怒らせたくなくて、無理矢理喜ぶ顔を作り、ありがとうと言っていました。そのつもりでしたが、母には買ってやってもうれしそうにしないと言われていました。

もちろん、自分がイマイチと思う服などはあまり身につけることもなく、それが元で母に文句を言われ、怒られて…を繰り返してきました。


それ以降も、いろいろな人に私としてはそれほど欲しくない物をもらったりしましたが、断るのも悪いと思って『ありがとう』と喜ぶふりをして受け取っていました。それらは必要がなくなれば捨てなければならなく、その時点でも罪悪感を感じるものでした。


今でもそれほど親しくない人から物をいただくことがあります。そういう場合、その場限りの喜びと感謝を伝えて、しばらく経っても使わない場合は誰かに譲ったり、それもできない場合は捨てています。


反対に親しい間柄の人には『いらない』と言うようにしています。


使わないものは使わないのです。

本当に欲しければ、無理をしてでも、やりくりをしてでも自分で買います。

身の丈に合わないと思えば諦めます。


また、買ってもらうつもりで買い物に出て、もう少し考えたいけど、その場で決めなければ相手にも悪いからこの辺りの物にしておこう。価格も高いから申し訳ないから、本当はあっちが欲しいけどこっちにしておこう。そうやって、自分の身の回りのものを手に入れるのはイヤなんです。


それなら、買ってもらわなくていいんです。


プレゼントのしがいがない。

サプライズを喜べない。


ごめんなさい。

そういうオンナなんです。

そういう人なんです。