娘へのLINE | Last will

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こんにちは。ヨモリコウです。日記のつもりで書いているので、読んで楽しいものではないと思います。
自己満足を垂れ流ししているかも知れません。
でも、もし、共感していただけることがあれば幸いです。



昨年、高1の娘へ送ったLINEです。
彼女はどれぐらい理解してくれただろうか…笑い泣き笑い泣き笑い泣き

『世の中の理かどうかは知らないが、わかっている側がわかっていない側に説明するのが自然の流れだと私は思っている。
大人が子供のレベルに下りてわかりやすくかみ砕いて話すこともその一例だと思う。
まして、我が子ならそのアプローチは当然のことだと思う。

だが、私はまだ自分の子供さえも満足に導いてやれない。

日々あらゆることを叱って諭してきたつもりだ。しかし、親の思うように子供は育たない。
自分ではない人間である限り、それも仕方のないことだとわかっている。

それでも、私は少しでも子供の未来が良くなるようにと、自分の生きてきた経験に基づいてこちらの選択の方がいいよ、こういう別の選択もあるよというプレゼンテーションをし、あきらかに誤った選択の時には厳しく叱り、そのフォローとサポートをする。
ルールを幾度と破り、本人のその時点の意識では改善が見られない時にはペナルティを与える時もある。
でも、そのペナルティも本人は受け入れられないときや、すぐに忘れて何の意味も持たなくなることもある。

この一連の流れが子供が巣立つまで毎日のように繰り返され、そのほとんどが勉強、進路、部活にジャンル分けされる。

幼児期頃から小中学生、そして、今は高校生。
内容、言葉選び、タイミング等は変化をさせてきた。

世間では『勉強しろと言わない方が良い』らしい。しかし、勉強をしようとしない子供に向かってを何も言わないほど、私は我慢強くはない。
もちろんできるだけ抑えてはいる。
子供がうんざりしないように理解してもらえるようにタイミングも考慮して、私なりに『手を変え品を変え』てこの16年間やってきた。
しかし、子供のスイッチは入らない。

塾に行かせられるなら行かせたい。
そこでは勉強において経験をゼロから積み上げるというプロセスをすっ飛ばすことができるところであり、そんな一個人とは比べものにならない膨大な情報に基づいて試験をクリアする方法を教えてくれるし、勉強をする環境も与えてくれる。
しかし、我が家には先立つものがない。

その中で彼女がうっすらと望む将来を手に入れるには、おじいちゃんにおねだりして塾代を出してもらうか、学校の講習に時間の限り出席するか、本人が限りのある時間に集中して勉強するしかないと私は思う。

本人がそのうちわかるからいいではないか?
失敗したと思っても、その人の人生だから放っておけばいいのではないか?
それも一理ある。
確かに私の心の最後にもそれがある。

でも、私の分身とも言える彼女達には本人が満足できる人生を歩んでもらいたい。
将来の仕事も、人生の伴侶も、それ以前に結婚するしないも本人の自由である。
そして、決定するための情報は自分で手に入れてほしいし、今は情報収集能力の回路を延ばす時期なのだと思っている。

そのために私からの情報が欲しいならば、私も自分で培った情報を提供する。時にそれは干渉と言うのかも知れない。
でも、その中の情報から最後に決めて生きていくのは本人でなければならない。それが、彼女達の幸せにつながると私は信じている。

やはり、私は持っている情報をあらゆる方向から命をかけて彼女達に伝えられるだけ伝えよう。
それが、先に生まれたものの使命だと私は思っている。』