もう一日。
もう一日早く動き出すことが出来るようになれば、私の人生ちょっと変わりそうなんですけどね(笑´∀`)
一日遅れましたが節分のお話できました。
秋栗ケーキの節分は、安定の秋斉さんです。
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お稽古を終えて置屋に戻ると、広間の方で人の気配がした。
「秋斉…さん?」
そろりと中の様子を伺って「わぁ」と思わず声が漏れる。
「おかえり」
「あ…ただいま 戻りました…!」
挨拶も無しに見入ってしまったことを恥じて、慌てて頭を下げた。上でくすりと笑う気配がする。
「節分の…お豆ですか?いい匂い」
「せや。お座敷前にあんさんらへ配りますよって」
炒りたてを貰ってきたからまだ温いのだと、大きな布袋からさらさらと豆をすくう仕草さえ雰囲気たっぷりで。
三味線を抱えたまま無意識に見とれていると、視線を上げた秋斉さんと目が合った。
「あ…あの…!何か、お手伝い出来ることはありませんか?」
誤魔化すために勢いづいてしまった私とは対照的に、秋斉さんはゆったりと微笑んだ。
「ほな、お願いしてええ?」
荷物を部屋に置いて手を洗い、前掛けをつけながら戻ると、番頭さんも来ていた。
「○○はん」
手の塞がった秋斉さんに表情だけで示されて、隣に並んだ。
「も少し」
「…はい」
秋斉さんが升ですくった豆を受け取って、小分けの袋へ移していくのだから近くないといけない。わかっているけど、あんまり近いと炒り豆よりも好きな匂いがして困った。
小さな升の受け渡しで、時々指の先を触れさせながらしばらく黙々と作業を進めた。
豆の残りも少なくなって、秋斉さんの静かな声が沈黙をやぶった。
「時に…」
「はい」
「あんさんの地方では節分の日、どないして過ごしたはったん?」
「……。えっと…」
真実を伝えてしまっていいのか、迷って口ごもる。秋斉さんの先を促すための笑顔がどこか空恐ろしい。
「豆を…ですね」
豆を。
正解はどれだと、頭の中をひっくり返しても、私は答えを持ってはいなかった。
幕末時代の風習なんて知らない。
こうして現代を離れて、簡単に調べるツールを失うまで、そんな予習が必要なシーンは来なかったから。
現世では、独特の掛け声と共に豆を撒いていた。
(でもこの時代で、食べ物を撒くとか、許されるの…?)
ああやって豆を撒くようになったのは、なんとなく明治以降な気がしてしょうがない。
食べ物を投げるやなんて…と呆れられるかもと思うと、本当のことは言い難かった。
「…豆は…、無病息災を願いながら、おいしくいただいていました」
「そらえらい量を食べてたんやな」
すかさず番頭さんに突っ込まれて、秋斉さんが吹き出すように笑った。
恥ずかしい。
だけど、この前置屋を空けた日からどこか塞ぎこんでた秋斉さんの、こういう笑顔が見られたのは、とても嬉しかった。
2つの感情に頬を赤くして、可笑しそうに揺れる横顔を盗み見ていた。
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「今年も盛大に撒いて、福もお客はんもぎょうさん呼び込んどくれやす」
座敷にあがるための支度を終えると、秋斉さんから1人ずつに、豆の袋が配られた。
節分お化髪(ばけ)のために普段とは違う格好をしていることも手伝って、禿ちゃんも姐さん達も皆、お祭りの時みたいに楽しそう。
「あの嫌なお客が来うへんようにーって、豆撒いとこ」
ある姐さんが呟いて、何人かが曖昧に笑った。口調こそ冗談めいてたいものの、遊女としての切実な願いだったことは明らかで。
広間の賑やかな空気が、一瞬色を失って冷えた気がした。
「これ…そないこと口には出さんと……。しっかり鬼除けしよし」
戯(たわむ)れ混じりにたしなめながら、姐さんの袋に余分に豆を足してくれた。そんな秋斉さんの言動に、当の姐さんも周りも嬉しそうに口角を上げていた。
広間を出るとそれぞれ思い思いの場所で豆を撒きはじめる。どんな節分をと聞かれた時に口に出せなかった掛け声も、私が居た時代と変わらないことに驚いた。
私も最後に秋斉さんから袋を受け取ると、後ろで番頭さんが笑った。振り返ると、豆を掴んで食べるような仕草をしている。
「○○はん、それで足りはるか?良かったらわてのも」
「もう…!」
こわいこわいと横を通り抜けていく背中に頬を膨らませる私を、秋斉さんが笑う。
「…禿の格好、○○はんによう似合うとる」
「……こどもっぽいからでしょうか?」
「さあ…可愛らしからとちゃう?」
絶対に似合うからと花里ちゃんに太鼓判を押されたお化髪の仮装のことだ。
嬉しくて、はにかんだ。
おかっぱに見えるように、折り曲げて結った髪の輪に、秋斉さんが手の甲でそっと触れた。
「福をようけ呼び込んどいで……鬼がこれ以上あんさんに近付かれへんように」
「………」
「ほれ、はよ行かんと、お座敷の時間になるよって…」
「秋斉さんも。秋斉さんも、一緒に撒きましょう?」
禿の格好に無邪気さを借りて、そう声をかけると、予感していた通りに瞳が曇った。
静かな部屋に、あの独特の掛け声や笑い声が遠く響いていた。
「わては…遠慮しときます。鬼が、鬼除けするやなんてけったいやから」
「…秋斉さんは、鬼なんかじゃないです」
「そう見えとるだけや」
隙のない笑顔を残して離れようとする秋斉さんの袖を掴んだ。
「鬼なんかじゃないです…!秋斉さんが鬼だったら、皆鬼だ」
「これ」
「だって…!私達は秋斉さんのおかげで皆…!」
島原に住む娘なら誰でも知っている。藍屋の主人がどんなに人格者か。今日のような行事をきちんと体験させてくれたり、さっきの姐さんに対する対応ひとつ取ったってーー。
「…何を知ったはるの?」
瞳にさした影は優しい秋斉さんを隠して、私を冷たく突き放した。
「あんさんが見てるのはここでのわての顔だけ。他のことは知らへん」
「……、でも…!」
そんな言い方。ずるい。
何も言えない自分が悔しい。
薄く笑う表情が、悲しい。
「…堪忍。手伝いおおきに」
掴んだ袖をほどかれ小さい子にするように頭をぽんぽんと撫でられた。
すとっと迷いなく閉ざされたふすまの前に立ち尽くした。
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「旦那はん、行ってきます」
「今日はおおきに旦那はん」
撒いた豆を片付けて、置屋を出る時刻。
一言ずつ挨拶に来るのを労い、揚屋へと送り出した。
人気(ひとけ)の無くなった廊下に、あの娘の気配が立ち止まった。
「…………」
こちらから声をかけてやればいいのに。
頭では解ることが、実行出来ない。
自ら傷つけた娘に成り行きを任せるほど、自分は子供じみていただろうか。
(……馬鹿馬鹿しい…)
自分に嫌気がさして筆を置いた。
他の娘と同じように送り出せばいい。無駄な期待など、互いに持つべきではないのだから。
襖を開けるために腰をあげると同時に、襖にばらばらばらと激しい雨の打つような音。
「ちょ…何をしてはるんや…!」
廊下に響いた番頭の声と、逃げていく足音。
わけがわからず襖を開き、興奮している番頭の手元を覗き込んだ。
「ここにこんなもん貼りよって…つくづく若い娘の考えることは解らん…!」
「………………」
筆で描かれた鬼の顔と、たどたどしい『鬼も内』の文字。
今にも破られてしまいそうなそれを、番頭の手から引き抜いた。
「…そないなもの、どないしはるんどすか?」
「……鬼に、渡しときます。なんや、あほらしゅうて鬼の心も和みそうやない?」
怪訝そうな番頭の視線を浴びながら、ふっと笑みがこぼれる。
「…下手な絵」
足袋の下で豆がぱきりと音を立てて割れた。
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おしまい