先週は絶好の釣り日和でしたが、どうにも寒さが堪えて釣りに行く気になりませんでした。
今週も木曜はどうやら雨模様。
先日、釣具の余剰在庫をイシグロに売っぱらったら、商品券5万円分になりました。
これで何を買うか迷ってます。
苦手の小物釣りに本格的に挑むべく極鋭レッドチューン?
餌タチウオの釣果UPの為に極鋭ギア?
極鋭キスもかなり魅力的。
アマダイやイサキに使っても楽しそうなので、多分ギアの30-210に落ち着きそうです。
話は変わって、「変なもの」テーマのエントリが1つだけなのが寂しいと常々思ってました。
今週は(おそらく)釣りネタもないのでちょっと寄り道。
私が5歳の頃、母が病に倒れました。
乳房に出来たしこりに気づき、当時池袋にあった癌研病院で乳がんとの診断を受け
乳房全摘手術を受けました。
その後退院し、放射線治療を受けつつも、半年ほどの間は家族で温泉に行ったりして
平穏に過ごせました。
やがて転移が発覚し、再入院したのが秋も深まった頃。脳への転移でした。
さしたる治療法もないまま、最初は大部屋。次に3人部屋、やがて意識が混沌とし
末期が近づき、ナースステーション側の個室で母は意識も無く、寝たきりの状態でした。
まだ幼かった私は、この段階でも母の病状が理解できず、また元気になって戻ってくると信じてました。
最後の時が近づき、大阪や山形から親族が家に集まり、寂しがりやだった私はにぎやかな状況が
かえって嬉しく、はしゃいでたように記憶してます。
やがて年が明けたある夜、夢を見ました。
家のそばの千代田線湯島駅構内、母が私の名を呼び、追いかけてきます。
私はなぜか逃げ続けます。本当は母にすがりついて甘えたいのに、その思いを振り切るように
泣きながら逃げました。
悲しくて、切ない夢。
その夢の途中、深夜に山形の叔母に起こされました。
「お母さんが病室を変わったから、お見舞いに行こう。お父さんもお姉さんも先に行ってる」と。
私は子供の頃から夜中に出歩くのが大好きでしたので、事情も深く考えずに叔母と病院に向かいました。
新しい病室とは、地下の霊安室でした。
冷たくなった母の頬を撫でても、私にはまだ母の死が理解出来ませんでした。
エディプスコンプレックスそのまんまの甘えん坊だった私が、本当につらくて寂しい思いをするのは
その後のなにげない日々日常の中でした。
その後月日が経ち、姉がつけてた日記を読ませてもらいました。
あの日の晩、私が見た夢。
それとまったく同じ夢を、姉も見ていたんです。
湯島駅構内も、母から泣きながら逃げるのもまったく同じ。
母が無くなってから33年経ちました。
その間何度も無き母に問いかけました。「あの時、お母さんは何を言いたかったの?」
無論問いかけの答えはありません。
先日、都内にある母の墓に御参りに行きました。
墓前で母に言う言葉が、年々徐々に失われていく事に気づきました。
昔は「何してこれして」。今は「皆元気だから。心配しないでやすらかに眠ってください」と。
毎年欠かさない墓参りの後、物悲しいというより、なぜか晴れやかな気持ちになるのはなぜでしょうか。
母が生き、自分が存在している。母が生きた証。
今も変わらぬ母との絆を再確認出来るからなのだと思います。
そして今でも元気でいてくれる親父、その親父を支え続けてくれる今の母。
私にとってこの世で一番大切なこの2人に対する、言葉に出来ないほどの感謝の気持ち。
絆は永遠。絆を生の拠り所として、絆によって私は生かされてる事を痛感してます。
なんか変なエントリになっちゃいましたね。。。ボツにしようかとも思いましたが墓参り記念にぼちっとUP.









