19950117 | 鉄母の 子育て鈍行列車 

鉄母の 子育て鈍行列車 

鉄道関係のことが好きな母親を勝手に「鉄母」としました。
旅行や鉄道関係から、英語、教育、発達障害と、鈍行のおかげでネタの中身が寄り道いっぱいです。

平成7年1月17日、午前5時46分。

当時私は中2でした。

家族でスキーに行ってました。

ガールスカウトのスキー訓練に特別会員として

参加していました。

カレンダーの並びが良かったのか、確か3連休になったんだったと

思います。当時成人の日は15日の固定でした。

だから金曜日の夕方学校を終えて集合場所にいってバスで行ったと思います。

行先は薮原高原が定番でした。

 

よく雪が降っていたので、それなりに楽しんでいました。

年下の子も多く、私もスカウトからは卒業してたのですが、

話し相手になっていました。スキーの班分けでは

私の父の組のもスカウトたちが振り分けられることもあり、

案外父は父で面白かったようです。(まぁ、やっぱりそこはね^^;)

 

父はスキー訓練についていくまで20年スキーから離れていたそうです。

会社員時代は夜行列車でよく言ってたのですが、そこからしばらく・・・

20年たってるから果たしてと思っていたらしいのですが、聞けば

3回往復すると体が思い出したよと述懐してました。これは

滑り倒した人が言うセリフだと思いますので、自信のない方は

真似しないように^^;

 

ところで、雪山から帰ってきても次の日は私も学校。

さて、私と父は(恥ずかしながら中学までは家族3人座敷で寝てました。)

なぜか5時30分ごろ目が覚めて、1月ですから起きた時に冷たい空気が

顔に感じました。起きたのはいいけど、父も「まだ起きたくないなぁ」と言わん

ばかりの顔をしてました。・・・・・・・・・・・・・・・・?????????????????

 

少々して、その時が来ました。

名古屋でも、震度4を記録しました。お盆の上に載せられた気分で

布団をかぶりなおし、揺れが収まるのを待ちました。

母は当然すでに起きて家族3人分の弁当作りをしていましたから、

「うお~」と叫んでガスを消し、机の下にもぐっていました。

 

つけていたラジオが、「只今、近畿地方で震度6の地震が起きた模様です」?!

え?????????西で地震?にわかに信じられず、寝たい気分が

吹っ飛んでしまい、トイレだの何だのと準備することにしました。

 

学校へ行くと、だんだん日が昇り、テレビもラジオも様子を伝えています。

ようやく、神戸が惨憺たる状況になり、みんなで「朝びっくりした」とか

「私ら今年修学旅行やけど、行けるんやろか」と気の早い心配をする子も。

中には「え~~~そんな揺れたん?私知らんよ~」というつわものもいて、

なかなか驚かされました。この後3月にはあのオウム真理教の起こした

地下鉄サリン事件も起きてしまい、中国地方はおろか、東京方面に変更になるか?と

言われたうちの中学の修学旅行はそもそも新幹線を使うのを避けなければいけない

事態になりました。(昭和55年生まれの学年は新幹線利用の修学旅行は

もしかしたら避けたという学校が多いでしょうか。特に近畿・中国地方、東京へ行く

東海道山陽新幹線を使うのが通例だった場合かなり避けたかもしれませんね。

高校の修学旅行で新幹線の場合も同様だったろうとお察しします。)

 

母校の卒業生が神戸で巻き添えを食らったというニュースも一週間後

聞きました。在校生はなくても、卒業生で結婚したり仕事の関係で

神戸にいた方も少なからずいたでしょう。

 

名古屋にいるうえ母が伊勢湾台風の経験者だったので、5000人犠牲者が出たという

単位は聞いたことがありましたが、この阪神大震災は後々6432名と伺いました。

東日本大震災が来るまでの最高記録更新となり、阪神高速がボキッと折れたり

JRや阪急、阪神などの主たる鉄道もしばらく不通というあごが外れる映像が

日を追うごとに現れ、布団にもぐって揺れの収まりを待った私はなんと偶然が

重なってるんだろうと考えさせられました。

いつだったかお風呂に入っていた時にまぁまぁ揺れた時は、ゆったりしてたのに

冷や汗が出て、いい気分が一瞬で吹き飛んでしまいました。

 

この伊勢湾台風から阪神大震災まで、5000名を超える犠牲者が出るような

災害がなかったということを聞いたときはびっくりしました。93年はものすごく長雨で、

輸入米騒ぎも起きました。94年は逆に暑すぎでした。それをふっ飛ばしました。

そして、中越、中越沖地震、宮城と岩手の県境を襲った地震を経て

2011年3月11日の東日本大震災。私の39年の人生で地震がこうも起きると

予想などしていませんでした。

 

あっという間の四半世紀。25年の間に陛下が代替わりをすることになり、

世界も随分様変わり。驚かされることや、一般的と思われることが代わって

目に余りやさしくない世の中になりました。(画面とにらめっこすることが多く、

もっと現場とにらめっこしたいもんですけどね^^;ストレートネック問題に

悩まされるなんて思ってもなかったでしょうに。)

地震や災害も年を追うごとにひどくなっている気がします。

また、名古屋を含む東海地方は被害が余り少なくよけられているように感じます。

それだけに、もし来たら、その時の被害は甚大ではないだろうかと

(日ごろの鬱憤たまって箱が開けられる感じで)想像できません。

 

そんなこと忘れたという人もいるのかもしれませんが、

私はたとえ現地ではなくても地震を体験したので記憶が蘇ります。

 

覚えていることも、大切なことではないかと思います。