こんにちは。
備忘録であり思考の客観化を兼ねています。
3か月ぶりのゴミ屋敷。
住人である老婆の健康状態が悪化したこと、支援に入っている機関が変わったことにより、ずいぶん訪問しやすくなった。
昼夜逆転の生活をしているせいなのか、体調が悪いのか、訪問直前まで寝ていたとのこと。
私は正直、老婆がどうなろうと知ったことではない。
勝手に死んでくれた方が良いとさえ思っている。
なぜなら、同居を強いられている老婆の娘さんを救う道の一つであるからだ。
重度の障害をもって生まれ、意思疎通も身体移動もできない娘さんを、家の中に閉じ込めておくことに怒りを覚える。
娘さんは歯がない。
全て虫歯となって抜歯している。もちろん、適切な口腔ケアをしてもらえないためである。
娘さんは自力で排泄できない。
長年入浴できず、菌が繁殖して排泄機能を奪ってしまったからである。
娘さんが入浴できたのは、今年に入って、福祉施設が宿泊ケアを提供できてからである。
(どうしてあのゴミ屋敷に帰すのかと思う)。
娘さんは骨と皮の姿である。
一日一食、それも宅配弁当だからである。
親権はない。
なぜなら、娘さんはとっくに成人しており、しかも、
私と同い年である!!
娘さんは本来、自由のはずである。
あの家に居続ける義務などない。
体中、ダニに刺されて汚い布団の上に転がされている生活を強いられる言われはない。
虐待であるし、何度も福祉は行政に掛け合っているのだが、行政は虐待の認定をしない。
ここでその判断について私が言うことはないが(私は福祉の専門家ではない)、こんな愚行を老婆に許しているのは一緒になって娘さんを苦しめていることに他ならない。
外科手術のように一刀両断できる法的手法を、私が弁護士だったらふるえるのだろうか。
あのゴミ屋敷は借家であり、原状回復はおろか損害賠償請求を免れることもできないだろうに、ただ漫然と放置されている。
その賃貸借契約書すら、ゴミ屋敷のどこにあるかも不明である。
(老婆の夫、つまり娘さんの父が存命のころに契約されている。大家さんはこの事態を知らないのかもしれない)。
あの老婆に天罰がくだれと思うが、老婆は娘さんを世話しているとの主張を崩さない。
つまり、自覚なき優しい虐待。
私の内心は老婆と会う度に怒りで煮えたぎっている。
しかし、福祉の方が言うには、私が唯一、福祉や医療以外の人間で訪問を許されているのだという。
感情を表面に出さない技術がいきているということ。皮肉にも。
いつか、ブログでも書いたけれど、
本当にあの家は地震で崩壊すれば良い。
娘さんだけ無事であれば。