昨日
熱田神宮で正式参拝しているときに

降りてきたメッセージです

『この地球を楽しみつくせ
あなたがそれをすることが地球(ガイア)の喜びになる』

という一言がポーンと降りてきた



この記事覚えていますか?

供養なんかされている場合じゃないんですよ

私たちが
今この瞬間を楽しく幸せに生きていたら
これほどの先祖供養はない!!
ということです

そしたらまた
正しいひとが現れて
こういうことを書いてくる

私のブログは私の意見、生き方を書いているのであってあなたにとって正しいかどうかではありません

それに対して
それは間違ってる!って苦言を呈したくなるのはなぜ?

「私はあなたの言ってることわかりません!
違うと思います!」みたいにつっかかってくる人は何をわかってもらいたいのでしょうか

そっか、生きてることが楽しくないんだね、不安なんだね


>現存している神社やお寺は姿を消していかれると思いますが。。

人々が生きることに感謝を向けたとき

神社仏閣にいって
『ありがとうございます』と手を合わせたくなるのではないかしら

熱田神宮の前で手を合わせた時
愛と感謝がどんどん湧いてきたのです

その時には特定の先祖様ではなく

今がありがたい
今この瞬間がいかに幸せであるか
今ここで私が生かされていることがどれだけの
奇跡なのか

この感謝しか浮かんでこなかった

その瞬間
私のすべてのご先祖さまが
癒され、供養されたのだな、と思います

私がご先祖様の末端ならば
私自身が幸せであれば
すべてのご先祖様に光線が走り
一瞬にして癒されていくのだ

そう感じた

私も短い間ですが仏教に身をおいたもの

読経や供養の儀式のことは
普通の人よりもたくさん見てきています

法要法事もどれだけやってきたことか

お寺での供養儀式、セレモニーも
大切です

皆が集まって法事や法要をするのも
故人を偲ぶ大切な儀式

それはそれ

私が言っているのは

そういった形ではなくて
生きる心のことです

形のための法要法事
供養しないとバチが当たるだの
供養しなきゃいけないだの

私は
お墓の位置や形状に頭を悩ませる、そんな時間を私の子や孫にさせたくない!

『この地球を楽しみつくせ』


私たちが
今ここを一生懸命生きていること
今ここを楽しんでおもしろく生きること

地球を遊びつくしてから
あっちの世界に帰ろう!

そしたら
あっちの世界から
子孫たちを見守ろう

子孫たちが先に逝った私たちのことなど忘れて
楽しく遊んで幸せに生きていてくれる姿がみれたらこんなに安らかなことはないじゃないですか


こんなふうに

私たちのご先祖様は
見守っていてくれると思います

私たちはご先祖様をすっかり忘れて
遊びつくせば良いのだと思います

仕事を休んで法要の日取を決めたり
おばあちゃん、おじいちゃん、
ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃん
いったい何回忌までやればいい?

そのたびにお寺さんを呼び、親戚一同が集まり
それが楽しくて楽しくてワクワクするなら
どれだけでもやればよいのです

ご先祖様もさぞ喜ぶでしょう

それは読経をあげ供養したからではなくて
ご先祖様は子孫が笑って楽しんでる姿を
みて癒されているのではないでしょうか

私の
最大の先祖供養は

ご先祖様のことを考える暇もないくらい
今私自身がめいっぱい幸せに今を生きること

地球を楽しみつくし
後悔の念をこの世においていかないこと

それが
のちの子孫供養になるのだと思うのです

子孫供養ができたら
先祖供養も同時に行われる

私たちは先祖を忘れてもいい

忘れたところで
ご先祖様がいなかったら私たちは
今ここにいないのですから

私たちが愛と感謝に溢れたら

ご先祖様も
大自然も
地球も
宇宙も
すべてが愛と感謝に包まれる


法要、法事、葬式にだけ収益を頼っているお寺はわかりませんが

本来お寺は説法を解くところ
人々に愛と感謝とは何かを伝えるところ

私たちに感謝の念がある限り
お寺や神社はなくならないでしょう


ありがとうございます
私は今幸せです
地球を楽しみつくします


だいじょうぶ
だいじょうぶ

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ぴこ
らぶ♡