たゆたえども沈まず | 同じ月をみてる

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44歳おやじの日記

もう何年になるだろうか、昨年は誕生日に胡蝶蘭を贈った。

その前も、胡蝶蘭、その前は、スタンドのフラワーアレンジ、
、その前はブリザーブドフラワー、その前は今買ってくるからと、
その場で花屋さんに行ったような、その前は・・懐かしい記憶だ。

お水にとって誕生日は重要なんです。スナック等のママならば、
誕生日にいただく花が、ママの評価であり、店の格でもあり、
本人の単純なお祝いではなく、その他大勢の客、
同業者に知らしめるものです。

以前にも書きましたが、夜の仕事は危険も伴う。
生き馬の目をぬく世界。

酔って傍若無人になる客、同業者での客のとりあい、ひがみ、ねたみ、
そのなかで、生き残っていかなければならない。

誕生日にもらうお花は、そんなとき、そっと彼女を守ってくれる。

見えない誰かが、贈る花は、一見きれいなものだが、
客や同業者に、多くのお客様から愛されている、
守られているママだと、そう無言で伝えるメッセージ

時には抑止力にもなる、それがお花なのです。

だから見栄をはるわけではないのです。そんな意味があるからこそ
よい素敵な胡蝶蘭を贈っていました。いつも守ってあげることができないから。

胡蝶蘭の花言葉は、幸福がとんでくるです。

彼女にはそうとう迷惑をかけたし、たくさんの思い出がある
何度もディズニーにも行ったね、東京で喧嘩して新橋で降ろしたこともあった

今年はもう贈らないと決めた。

贈らないことで、お互いにもう、会うこともないでしょう

考えたけど、花だけは贈るよと言ったこともあったけど、
贈らないことが、お互いのためになると思うし、
それが、逆にエールになると思うから

何度も彼女を責めた 本当にごめんね


この人にだけ唯一 子供が欲しいと言ったことがありました

彼女の子供は大きくて、現実的にも、難しかったし、
仕事と家庭、子育てにもそうとう疲れていたと思う
なによりも、彼女の気持ちもつかめなかった

多くのことを言ったので、それでも母親かなど・・
口を挟んだり、おれだったら、そんな営業はしないと言ったり

これ以上かけないくらい恥もかいたし、プライドを捨てたり
あたまにきたり、喧嘩したり、
病院にも行ったし、子供受験祈願にも連れて行ったこともあった
すべてはやりきったような、そんな気がします

北風と太陽でした


それも、もうすべてが、素敵な思い出に変わってしまった


今は もう、なにもない



今はなにをしているか、わからないけど

きっとまだ店を続けていると思う



彼女のことを日記に書くのは、今日でもう最後だと思う



いつもこれからも応援しています



この季節になると思い出してしまう



そして花だけは贈ろうかと悩んでしまっていたが




何もしない言わない


そういうことが


言葉にもなることもある






素敵な思い出のひとつです





思いだしたんだけど、あるバーの方が、言っていた

彼女は、朝方一人できて、泣きながら、一人で飲んで、そこで潰れていた

いい子だよと


もう、そんな風にはいて欲しくないし、幸せになって欲しい