フィギアスケートは不思議なことが多いと思う今日この頃です。
フリーだけで比較しても、トリプルアクセル飛んでも、ノーミスでも、キムヨナやロシアの金メダルの選手に届かない得点。
誰もできないジャンプ飛んでも、評価は低いのですね。
まるで生きてる間は、評価されなかった、有名画家のようだ。
後世にならないと真央は評価されないのかな....素人が吠えて申し訳ないですが、....。
ジャンプの可能性よりも、確実にノーミス演技だけを求めるなら、みんな同じ構成の演技すればいいのに。なんでそうしないのだろう。
だからこそ、トリプルアクセルにこだわったのだろうね。女の意地か。
トリプルアクセルは、評価しない者達への挑戦なのだろうと思った。
男達の挽歌みたいだ
小さくまとまって、ミスしないゆったりとした演技が主流で、真央もあわせればいいのに、遥かなるプライドなのかな。だから愛されるんだね。
キムヨナは、どこか憂いがある。
自分は日本人だが、キムヨナの憂いが好きだ。真央の笑顔が好きだ。
金メダルはキムヨナだと思ったよ。
キムヨナに負けたら理解できるけど、二人だけ違う競技してるようだ。
二人とも文句の一つも言わない。
受け入れる。演技で魅せて、あとは風に吹かれる答えはそれぞれが決めてくれって
常に「不条理」があり、生きてゆくことは、厳しく、評価は自分以外の方がするものだから。
不思議な世界だ。
子供の頃、ソフトボールをしていた。スポーツ少年団に小2、3頃から入った。
野球が好きだったが、身近にあるのはソフトボールだった。
好きこそものの上手なれ。小5.6になった時はチームの中心だった。自分が打たないと勝てない。始めてプレッシャーを感じた。
その頃、自分は太ってきてしまった。心からの心配事があった。
試合よりも、ユニホームがきつくて、ズホンがしまらないのです(笑
今では笑い話だが、当時はそうではなかった(T_T)レギラー背番号をもらっても、ユニホームが小さくてきれないのだ。
初めて「恥」というものを知った。
しかし成長期の子供には、一人で、痩せることは到底できなかった。試合のたびに恐怖だった。
バッティングどころではない。
ズホンがきつくて、試合になど集中できなかった。新しいユニホームをチームが買えるほどの、財政はなく、ずっとお古のユニホームだったのです。
試合は、チームのユニホームをきないとならない
あるときは、一人だけちがう服で試合にでた。デブがユニホームがきつくて、きれないですと、宣伝してるようなものだった。
トラウマを飛び越えて、少年にはきつい日々だった。鬱病とかは、信じてないが、たぶんそのぐらいに悩んでいたと思う。
ズホンがはけないから、泣く、休むと言ったこともあった。痩せたいが、子供過ぎて痩せるすべもない。
大人達も、そんなことを気遣ってくれる人はいなかった。
太ってる人しか理解してくれないだろう....太ってるのは、自分だけだったのです
痩せることはできないけど(T_T)
それでも、実力で証明すると、ソフトボールにのめり込んで行きました。
あるとき、監督のユニホームを借りて試合にでた(笑)
ストレスから解放されて、打ちまくった子供は繊細なのだ。
少6になってやっと、ユニホームをチームが買ってくれた。その時自分が4番バッターで、チームの中心だった。
このときの「恥」恥ずかしい思いが、今になってもジム筋トレに自分を行かせるのです。
けして、すべてが親の責任ではないが
子供の頃に、自我が形成される前に太ってしまうと、どうにもなりません。
子供にはコントロールできない。
誰にも言えないほど、恥ずかしい悲しい切ない想いをする。太ってる自分が情けない。試合にも集中できない。
こんな悲しい想いは、もう40ちかいですが、これほどの絶望感は味わったことがないです。
今では笑い話ですが大人や、子を持つ親御さんには、自我が形成される前の子供を、太らせないよう、心を鬼にして、コントロールして欲しいと思う。
自分が打たないと、チームは負ける。
ここで打てば、そんなチャンスは何度もあった。
打てない。子供ながらにチームの4番として、責任を感じた。
チャンスではないときには、打てる。プレッシャーに弱い。
ユニホーム貸してくれた監督には恩があるWw 始めて個人として、自分をみとめてくれて、4番バッターを任せてくれたのです。
デブ、この言葉はきつい言葉です。
飛べない豚ではありませんでした(笑)
ソフトボール、リレーの選手など、走れる豚だった
続く
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