雨上がりの京都駅は、相も変わらず観光客で溢れている。

206系統(100系統でも良いが、どちらも長蛇の列、運転本数で選択。)の臨時バスに乗り、「国立博物館」で下車。

南門から入場し、敷地内に展示されている遺物を見学後、「平成知新館」前の発掘調査現場(「方広寺」廻廊跡)を観る。

本館前の「考える人」。




館内見学。かつての本館における展示と比べて、随分と大人しくなった感じ・・・。



博物館を出て、北隣の「豊国神社」。

太閤秀吉ゆかりの神社。豊臣氏の滅亡後、徳川幕府により一旦廃祀されるものの明治時代に旧・方広寺大仏殿跡に再建された。




参道の正面に唐門(国宝)。金飾が、いかにも秀吉。伏見城⇒二条城⇒金地院(南禅寺)と目まぐるしく移築されたあと、ここに落ち着いたそうだ。

門前に満開のサクラ。




扉に、鯉が滝を登って龍になる故事にちなんだ「登竜門」。くぐると出世できるとか~ただし、正月三が日のみ開門。




上部に、左甚五郎作の「目無し鶴」。あまりに出来が良いと魂が宿って飛び去るので、鶴の彫刻に目を入れず完成させなかったとか・・・。

千成瓢箪の絵馬。



奥の本殿に秀吉、その右隣りの貞照神社に北政所を祀っている。



境内の北に鐘楼と大きな釣鐘。この鐘に刻まれた「国家安康」が、家康の頭と胴を切り離し、徳川家の滅亡を念じているとして豊臣家を滅ぼす口実とされた。




中に浮き出た白いシミは、淀君の亡霊だとか・・・。

ここの大仏は、奈良の大仏よりも大きかったとか・・・。境内の西側、大和大路道沿いに残る大きな岩を連ねた石塁。その北端に前田家が献上した「泣き石」、隣に蒲生家の「蒲生石」。城の石垣でも、ここまで大きな石を使っているのを見たことはない。さすが、秀吉・・・。

北の石垣にそって路地を入ると、石垣の隙間に庶民のこころ、地蔵尊が祀られている。





豊国神社の正面通に「耳塚」。秀吉による朝鮮出兵、「文禄・慶長の役」の際に持ち帰った敵兵の耳・鼻を葬った塚。塚を取り巻く石垣の寄進者の中に往年の歌舞伎俳優の名が、片岡仁左衛門、中村鴈次郎、松本幸四郎、尾上梅幸、林長三郎・・・。





耳塚の北西、斜め向かいに「烏寺(専定寺)」。むかし、専定という旅僧が、この辺りの松の木陰で休んでいると2羽の烏が梢に止まり「きょうは、蓮生坊(熊谷直実)の極楽往生の日・・・」と語り合い、南の空へ飛び立った。専定は不思議に思って蓮生坊の庵を訪ねたところ、烏が話していた同日同刻に亡くなっていた。この不思議な体験からここを有縁の霊域と感じ、草庵を結んだのが寺の起こりだとか~。飾り瓦に烏の姿・・・?



耳塚を南に下ると「今井念珠店」。400年の歴史を持ち、智積院をはじめ近隣のお寺さんの御用達を務める老舗。



東大路に出て「積翠園」を観賞したかったのだが、ホテルの建設中でダメだった。





渋谷道の町家を改造した真新しい喫茶店「市川屋珈琲」で小休止したあと「たばこ製造工場発祥之地」、問屋町通りの「市姫大明神」、「半兵衛麩」、五条大橋西詰の「牛若丸・弁慶」像にアイサツして、河原町通・「ひと・まち交流館」を経て京都駅。



小汗をかいた体に寒風が気持ち良かった散策の一日、この日の歩数14,256歩。





































氷雨の降るなか

丹波路を訪ねて来ました。


  初夏のような陽気の翌日

  一気に気温が10℃も下がり

  真冬に逆戻りしたので

  庭の梅も

  咲いていいのか

  未だ早いのか

  ・・・途惑っているようでした。



あまりにも暇なので

尾鷲から田辺まで

走ってきました。



楯ヶ崎」

この近くの浜に

神武天皇が上陸したそうです。

[神武天皇東征伝]



花の窟神社」(熊野市)

後ろの大岩(高さ45m)は

伊弉冉尊のお墓です。





「神倉神社」の磐座「ごとびき岩(天磐盾)」(新宮市)

熊野の神様たちは、ここに降臨されたとか・・・。




橋杭岩」(串本町)の夕景

右から伸びてきているのは、大島。



梅の花が咲く頃

雪解けとともに

咲き始めます。


暖かい日が多く

残雪もほとんどないのですが

ことしの開花は

去年より少し遅いようですね~


・・・湖西の「ざぜん草」

かつての場末の映画館のように


滋賀咲く

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アメーバ


の3本立てブログ

長い間、更新していません。


忘れた頃に時々

「趣味人」の「日記」

にUPしています。



2月6日ブログの日記念スタンプ

ブログの日スタンプ

信濃川中流域から八ヶ岳山麓、

縄文時代の息吹きを感じてきました。




火焔型土器(新潟県十日町市)




「縄文のビーナス」(長野県茅野市)




「仮面の女神」(長野県茅野市)



音無川に架かる

今にも折れそうな丸太橋を渡り

樹林の間を進んだ

その先の崖下に



縄文時代早期から弥生時代

1万年に亘って

ヒトが住んでいたという

「栃窪岩陰遺跡」(長野県茅野市)がある。



直線距離で数キロほどにある琵琶湖

湖周道路を走って烏丸半島へ

・・・変化のないハス

  七変化のスイレン 等々



















梅雨休みの日に若狭を訪ねた。




「熊川宿」を経由して

若狭一の宮「若狭姫神社」を詣で

若狭の魚介を食した後、

「井上耕養庵」で一服・・・くず餅








半年ぶりの「一滴文庫」は、きょうも貸切状態

一部展示替えされていた「斉藤真一」の絵



海岸に出て「若狭富士」

「鯖街道」を通って帰宅


梅雨時、季節がわりの定例ドライブ・・・かな?(^J^)